『素晴らしき哉、人生!』It’s a Wonderful Life(1946)

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/11/30 21:01

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 本日は2010年11月30日(火)です。11月が終わります。

 次々と偶発的に起こってくる(計画的に起こされる)不愉快で耳障りな「周辺事態」に引き摺られてか、2010年11月28日(日)の沖縄県知事選挙が、とても残念な結果になってしまいました。名古屋リコール不成立の不可解も不快です。日本の地方自治が内外(政府官僚役人・米露中北)からの圧力と干渉に苦しめられています。

 その28日の「第22回副島隆彦を囲む会主催定例会 大政治(ハイポリティックス)が生む金融破局の裏筋道を解明する」に私も参加致しましたので、菊地さんの定例会顛末に続いて個人的な感想など少しを書き込みます。まずは前半。以下、基本「だ・である」口調の文体でいきます。

 

 私は新幹線で上京したのだが、国土交通省さんよ……せめて片道の行く時くらいは快適な道程を過ごしたいと思っているところに、全国幹線旅客純流動調査票(?)みたいなのを書かせるのかいな……出発から移動手段、どこを経由したかの経路、最終到達目的地点までも。

 あれは回答は任意の協力なのか強制なのか? 国勢調査みたいに法律上の提出義務が課せられているのか? もし断ったら「やむをえない正当な事由なくして断ろうとしている……あやしい。職務質問する」ってなるの? きれいなお姉さん(国土交通省所属の公務員なのか)をアンケート用紙回収員にしているのは回収率を上げるためか。

 隣の乗客みたいに寝てればよかったけど、近くに来た際に遠藤周作の『沈黙』読んでたから手遅れだった。まぁ渡されて用紙に書いてた黒のボールペンもらえたからいいけど。アパートのドアを開けたらNHKのやつにテレビデオ見られたのを思い出した。こういう経験の記憶は何度思い返しても腹が立つ。役人根性や半役人連中の忌々しさ、そして断固として断る根性のない自分に対する苦々しさ。

 それから出発が遅かったこともあるが、上野駅の改札から脱出するのに手間取って時間をくってしまい、会場までタクシーを使う羽目に陥ったがそれでも13時をまわっていて、既にSNSIの須藤喜直研究員の講演は始まっていた。

 ホール横の通路でハガキを持って入場する際、係りのかたに「まだ奥の最後部に座席が空いています」と指示され、当初からも先生を避けて後ろの方に座るつもりだったので後部出入り口から静かに入っていくと、そこにいきなり先生がいた。

 先生は出入り口付近で、客席よりも後ろに設置した椅子に腰掛けていらっしゃった。須藤さんが映画の解説中だったため会場が暗がりの中、私は先生の前を通過する手前でやっと先生だと気付いたのだが、立ち止まって挨拶する雰囲気でもなく勇気もなし、足早に歩きながら角度15度未満のお辞儀をしているつもりで、心中焦りながら通過致しました。

 多分ですが、先生は官僚組織の放った偵察スパイを逆に調査・監視しているでしょうから、その一環で睨みつけられたような気がしました(汗)。非会員はともかく、学問道場の会員としてどのぐらいのスパイが内部に潜り込んでいるのか気になりますね。先生はここの会場にも5人くらい来ているとおっしゃっていましたが。警察の私服などだった場合はちゃんとした服装をしてきているだろうから、ラフな格好で行った方が疑われないで済むのかも。それにしても、果たして須藤さんは先生が常に見守っていた方がやり易いのかやり難いのか(笑)。

 それで須藤さんの講演内容だが、といっても私が勝手に中身の表面を書き過ぎて記録DVDの販売を妨害しても損なので、なるべく簡潔に致しますけれども。

 須藤さんが注目した政治映画を題材として政治を大きく捉えるというもので、配布された資料に取り上げられた政治映画一覧として6本載っていた。その中で私はフランク・キャプラ監督、ジェームズ・スチュワート主演の『素晴らしき哉、人生!』It’s a Wonderful Life(1946)しか観たことがないことが軽くショックだった。先生によれば須藤さんは一日一本視聴のペースでものすごい数の映画を観ているとのこと。

 他の5本のタイトルも自作の購入予定作品リストに加えたが、自分でチェックしている映画ですら未見のものが沢山あって、まだまだだなぁと実感する。それら全てをいずれ購入したいものだが、中には入手困難な作品や英語圏以外だったり、吹替・字幕ともに無い作品などもあり、特に私は日本語字幕が無いとお手上げだからつらいところだ。

 私は前出のフランク・キャプラ監督作品が大好きであり、『スミス都へ行く』Mr. Smith Goes to Washington(1939)が別格で一番だが、他にも『或る夜の出来事』It Happened One Night(1934)、『オペラハット』Mr. Deeds Goes to Town(1936) 、『群衆』Meet John Doe(1941)などを鑑賞している。

 キャプラ作品は昔の映画らしくちょっと意訳しすぎな邦題が多いのだが、『群衆』は大衆扇動と暴動ものの内容にピッタリで「ジョン・ドーに会おう」とかになるよりは良かっただろう。1941年だから冷戦前で、冷戦中のアルフレッド・ヒッチコック監督作品で後期の傑作『鳥』The Birds(1963)より集団ヒステリーの襲撃・パニックものとしては先だが、やはり『鳥』の方がずっと恐ろしい。日本人は戦後すっかり飼い馴らされたニワトリのようで、似非知識人は軽くツンツンつつかれる程度で『鳥』みたいな物理的集団攻撃に遭うこともないから覚悟も薄いもんだろう。

 私はキャプラ本人に会ったこともないが、おそらく人間としても好きである。

 その理由が須藤さんの「コミュニタリアン映画」に関するお話を通して少しだけ分かった気がするのだが、キャプラが私と対極に位置する人間だからかも。私のような冷たい人間の場合、同じく冷めきった人間が作った作品や文章に対する近親憎悪みたいなことが起こる場合があります。

 それがキャプラ作品の場合は『素晴らしき哉、人生!』に代表される一連の社会派とかヒューマニズム映画と呼ばれるような、暖かい住民達の共同体を描いた映画だと、現実的な共通感覚が湧かないので、かえって素直に感動出来るようだ。自分の理想とキャプラの理想が全然重なっていないから考えを修正する必要がなく、安心して観られるのであろう。

 ググってみたが「コミュニタリアン映画」。須藤さんの言うとおりで、投稿時点で日本語の固まりとしては、本当に1件も検出されなかった。「コミュニタリアニズム映画」でもなかtったと思う。これが日本の現状。