『沈黙』

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/12/25 12:00

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 以下、基本「だ・である」口調の文体でいきます。

『沈黙』(遠藤周作著、新潮社刊、昭和五十六年十月十五日 発行、平成九年四月二十五日 二十八刷)未読のかたは以後、ネタバレ注意で悪しからず。

 

 ● 神の沈黙と人の沈黙

 私はこのあいだの定例会の道中で、はじめて遠藤周作著『沈黙』を読んだ。遠藤だけでなく内村鑑三、賀川豊彦、曽野綾子さんや渡部昇一氏など、クリスチャンが書く作品は小説・一般関わらず読むのを避けて通ってきたというか、後回しにしてきたところもあって少々反省している。

 私は『沈黙』については作者と題名だけ知っていて、内容のことはキリスト教が主題だということや実在の人物(クリストヴァン・フェレイラ、ジュゼッペ・キアラ、井上政重等)がモデルであるらしいこと以外、ほとんど聞いたことがなかった。

 せっかくなので面白さ半減防止の観点から、ネットで時代背景や人物を事前に詳しく調べたりせずに、そのまま読み通すことにした。が、予想以上に陰鬱だったので新幹線の中にいながらにして気分が沈んだまま落ち込みそうなくらいである。暗くなることに耐えられない時には読まない方がいいだろう。あえて暗くなりたい時に読めばいいと思う。

 さらに私にはやはり多少の先入観があったようで、てっきり殉教の物語だと思い込んでいたのである。まさか棄教の物語(少なくとも表面上)だとは、正直びっくりした。なるほど、壮大で美しい殉教の物語よりも、苛烈でみじめ極まりないだけの宗教弾圧という、苦悩に満ちている末に生きて棄教に到るという物語を書いて、しかもそれを名作に仕上げる方がよっぽど難しいだろう。

 谷崎潤一郎賞を受賞している遠藤だが、ノーベル文学賞を受賞しなかったのは美しい殉教者像を描かなかったからか。井上靖著『天平の甍』もそうだが宗教関係は難しいものがある。大江健三郎は平和・理想の観点からで、川端康成は民族というか部族的文学の評価ということなのだろう。

 私はこの本だけしか読んでいないながらも、遠藤周作という人間に少なからず好感を抱いた。やはり代表作を1冊も読まずして「キリスト教の単なる偽善者」などと、安易なイメージ先行で決め付けてはいけない。ここも反省。

 マーティン・スコセッシ監督が『沈黙』を制作しているというがもう撮影しているのだろうか。篠田正浩監督の映画『沈黙 SILENCE』は鑑賞していないが、篠田と遠藤が共同脚本だというから原作者公認ということだろう。ウィキペディアを見ると松村禎三台本のオペラ化もされているという。スコセッシの方は生前の作者公認なのか非公認なのか分からないが、2011年公開予定らしいので期待して待ちたい。

 非クリスチャンである私が2010年の今頃になって『沈黙』を取り上げ批評してみたところで、世の中に何ら益するところはない。だから読書感想程度に留めることにするが、読み終わった後に時間をおいて考えてみて、静かな驚きが沸き起こった。

 それはキリシタン禁令と弾圧について全くといって差し支えないほど、何の罪悪感も感じていないということである。

 種子島と鉄砲伝来(世界史的意義は日本発見)、イグナチオ・デ・ロヨラ初代総長と同じくイエズス会の創設者の1人であるフランシスコ・ザビエル、天正遣欧少年使節、支倉常長と慶長遣欧使節、キリシタン大名の出現、天草四郎と島原の乱(殉教者と認定されていない?)や踏み絵のことを、学校の授業で習ったから、みんな知識としては知っている。

 ただし、単なる歴史上の出来事として。太平洋戦争(大東亜戦争)みたいに、反省すべきだなどという教師もいることはいるのだろうが、私は聞いたことがない。だから表面をなぞっているだけということである。天正遣欧使節の伊東マンショ、千々石ミゲル(棄教)、中浦ジュリアン(殉教)、原マルティノ達ですら人物1人1人の最期には迫らない。

 江戸時代の禁教令は明治に入ってからしばらく経って解除されたが(幕末はなし崩しでうやむやだが)、別に当時の日本人が反省したわけではないことは現代日本人でも肌身で実感出来る。開国による列強諸国との外交という、外側世界との付き合いが不可避となったせいで外来宗教も仕方なく認めなければならなくなったという現実からきているだけであって、宗教・信仰・信教の自由という強固な考え方が形成されたわけではない。

 私はいわゆる平均的日本人であり、ごく普通の生活感覚を持っていると自覚しているから、おおかたの日本人が普段からどういう思考をしているかについては、結構自信がある。

 日本人は宗教弾圧・信者迫害について、ほとんど反省していないし、そもそも最初から意識することがない。歴史の話題が日常会話に出る機会だってたまにはあるが、キリシタン弾圧を批判する言葉を耳にしたことはない。元よりどうでもいいのである。

 最近になって侵略目的の伝道(侵略者の尖兵)のことや何十万人もが売り飛ばされたという奴隷貿易のこと、旧教と新教の対立が及ぼす世界政治戦略の影響が、当時の日本列島にまで及んでいたことなどが詳しく知られてきた。プロテスタントが異教徒とすら手を組むのも反宗教改革と宗教戦争のことを考えれば無節操とだけ言い切ることは出来ない。

 鎖国は日本の防衛戦略であった。先生の本を読むのが歴史学者の本を読むより理解しやすい。スペインもポルトガルも、艦隊を派遣して司祭や受難者達の救出作戦を敢行することはなかった。支倉常長はサン・ファン・バウティスタ号での洋行の甲斐なく軍隊などを動かせず、伊達政宗(隠れ切支丹大名であったかどうか)は覇権を奪えなかった。百戦錬磨のローマカトリックは慎重である。動乱の戦国時代がが終わっていき、安土桃山時代を経て江戸時代になると徐々に安定期に入っていくことになり、キリシタン弾圧体制も安定して確立する。

 日本人は深いところで布教の悪の部分について敏感に感じていたのであろう。しかもそれは現在まで続いている。実情を知らなくとも感じとってている。日本人にとってはキリスト教はいまだに外来宗教扱いであり、イスラム教・ユダヤ教などの一神教に至ってはまるで未到達宗教である。日本は天皇以下、公式にも非公式にもカトリック教国にならなかったし、カトリッ征服され植民地となる事態も未然に防いだ。

 無論、私も彼等の世界制覇の野望を知っている以上、無条件にカトリック側に立ったりなどはしない。先生の言を用いれば、当時の世界普遍価値と民族固有価値の衝突である。

 しかしそれでも、日本人は宗教弾圧について無頓着に全く考えないか、当時の時代情勢にあっては正当な政策であったのだと軽く考え過ぎている気がする。負の側面があるとしても宗教弾圧を加えたという史実に変わりはない。カトリック達がこれをどう思っているか、相手の立場に立って考える。一度は想像してみるべきだ。

 私が現代において考えるところは、ヴァチカンやカトリック陣営は日本を守らないが、そもそも守らなくて当然なのだというところに結論が辿り着いた。これは第二次世界大戦で一度起きているから分かっている。

 戦前・戦中の日本は満州国で満足せずに暴走してプロテスタント陣営である英米をも敵に回して戦ったことがあるが、別段カトリック側についたわけではない。ドイツとイタリアは戦略上同盟を組んだだけの話であることは明らか。アジアの植民地の多くを失ったのも日本のせいだし、その後の世界各地の植民地独立気運を作ってしまったのも、日本に淵源がある(良い側面ではあるが)。

 しかも無条件降伏後、命乞いをして連合国、実質上アメリカ合衆国の軍門にくだった。ここから東西冷戦を挟み紆余曲折あったが、現在に至るまでヨーロッパ世界やカトリックとは距離をおいている。単に地理的に距離が遠すぎるということもある。

 ヨーロッパ諸国には世界の戦略と均衡を保つということを除けば、体を張って日本の味方をする理由はない。ましてや異人種であるどころか異教徒が大多数を占める国だ。なんとなくヨーロッパは日本の味方をするような気がしているが、クウェートの如くどこかからの武力攻撃から日本を守ること考えにくいわけだ。まぁアメリカにしたってどこだってそうなのだが。

 それでも日本は敗戦後、プロテスタントの国にならなかった。日本人は意外にもすごい宗教保守派である。確かに土壌が違いすぎてなじまないし、東アジアの島国の原住民がキリスト教などと称しても違和感がある。発祥の地としてはインドの仏教がギリギリでアジアであり、そこから向こうの中東となるともはや異世界である。日本人にはアラブ・イスラム世界が同じアジア人であるという実感や連帯は抱けない。

 朝鮮戦争や仏教国であり共産主義国となっていたヴェトナムが侵略されている時は、少しは良心の呵責という抵抗があっただろうが、イスラム教国のアフガニスタンやイラクが侵略されても日本人は沈黙していた。未だに沈黙している。

 小泉純一郎首相(当時)が支持・協力・加担した責任は元駐レバノン大使の天木直人氏や元大蔵官僚で経済学者の植草一秀氏、元外務官僚の佐藤優氏(クリスチャン)たちが声高に追求するものの、日本国民は一向に弾劾も断罪もしようとしない。イギリスのブレア首相(当時)の境遇とは大違いである。

 子息で後継者の4世までちゃんと国会に送り込んでいるではないか。まぁ親が手先だからって、その子供に罪や責任があるわけではない。何故ならば、貴族院の世襲議員であれば親の罪や責任も世襲されますが、現代日本では世襲議員といったってちゃんと選挙で国民の投票により当選しているのですからね。選挙を洗礼とはよく言ったものです。

 本当の世襲の場合は権力を継承する以上、責任も継承されますから、先祖の責任を子孫が取らされてもいいのです。失政によって迷惑をかけられた人民に引き摺り下ろされて私刑(リンチ)を受けて虐殺されても文句を言ってはいけません、本当の世襲政治の場合に限ればね。

 日本の世襲議員は選挙を経ているので本当の世襲とは言えず、正当な国民の代表であるということを忘れてはなりません。有権者が当選させている以上は投票者は世襲という批判を言えません。何故なら世襲にあたらないので批判にも値しません。

 国民の指導者が本当の世襲であってはならないというのはそういうことです。選挙を経ていない代表が失政をすると、人民が引き摺り下ろして殺さなければならないのです。その上に世襲の場合は責任も世襲されます。

 指導者は常に国民から選ばれた国民のための国民の代表、つまり正当な国民指導者でなければならないのです。だからこそ国民がいい加減でなくて、ちゃんとした人物選びをしなければならないのです。

 それにしても小泉政治を未だに清算出来ない日本。総決算はなし崩し。なにせあの時は騙されて国民が大絶賛してしまったものだから、今更批判しだすのは自分の過去の否定に繋がる(私もその部類に入ってしまうだろう)。湾岸戦争以来、アメリカの言い成りになるしかないという、公然たる暗黙の支持が国民のあいだにある。沈黙は追認と同義となる。日本人はイスラム教国侵略に手を貸したという意識はあるだろうか? 総括せよ!

 話が逸れてしまいましたが、結論=今後日本国がどこかから武力攻撃や侵略を受けた時、ヴァチカン・ローマ・カトリック諸国の人々とイスラム教諸国の人々は、何ら異議を唱えることなく沈黙する正当な権利を有する。

 

 ● ここから先は寄せ集めのため文脈定まらず、読んでいただける方がいらっしゃいましたらということで、どうぞ

『沈黙』で意地悪い筆致で描かれる悪辣な役人と日本仏教の坊主どもの、支配者側の醜さには異論はない。こんなもんだったのだろう。私は役人と同等の日本仏教を軽蔑している。最初から全て間違っていただけのことだろうと思う。だから日本仏教史には歴史の一面としての興味あるのみである。

 ヨーロッパでは長らくカトリック教会が支配者だったが、日本の場合は日本仏教が体制支配者側に大衆監督役として組み込まれていた。仏教伝来としての聖徳太子(に該当する、それらしき人物)以来、段々強化されていった。この辺の事情も全て先生が書いている。仏教の中にキリスト教が混入しているとすると、弾圧の協力者としての仏教徒は滑稽を通り越して哀れそのもの。

 江戸時代はそれぞれの寺のクソ坊主が人別帳という台帳管理で住民を管理把握していて、俗世の支配者の支配体制に協力して何が仏教だお前ら。その前は僧兵だの、肉食妻帯革命だの、中間飛ばしてその後はなし崩しの檀家制度で葬式仏教だの、大学出て高級車乗り回して豪遊するが、やがてドラ息子に住職を世襲させるだの、平信徒組織が反乱を起こして新興カルト宗教が蔓延して、総本山を乗っ取れなかったからといって政党作って政治に口を出すだの、ふざけるのもたいがいにしろよ。有害無益とはお前らのことだ。

 開き直って葬式仏教に専念するならそれでもいいが、政治に口を出すのなら税金払えよ。ご先祖様の墓参りはしても、俺は在家信者じゃないからな。

 日本の仏教で本当の仏教があった試しが一度でもあったのか。この日本列島に真の仏教があった期間がほんの一時でもあるのか。日本の明治時代初期の廃仏毀釈運動ごときで法難も何もあるか阿呆らしい。腐り果てたという表現はかなり現実に即しているが、ある意味では当てはまらない。腐る前の、立派だった時期が日本には一瞬も無いだろうが。だから今は末法の世、末世か。日本人が単に初めから末法しかやってこなかっただけの話じゃないのか。当時の日本人が心底みな仏教徒だったのだとしたら、仏教は拷問を肯定しているということになる。最初から仏教を名乗るな。

 日本の軍部や官僚と同じで、立派だった時期があったようにも見えるのは、かつては国の威勢がよかったからそう見えるというだけの見せかけだろう。かつては盛んだったり流行したことがあるからといって、真理がもたらされているというわけではない。

 それにしても、故・小室直樹先生と副島隆彦先生が織田信長による比叡山延暦寺焼き討ちと、そこからうじゃうじゃ出て来たという女子供をキレイサッパリ集団殺戮した話をする辺りの部分は、両人とも怖い先生だなぁと心から思います。人類の革新者は虐殺と粛清を普段から脳内で本気で考えていたりするから、冗談ではなく恐ろしい。

 私には本能寺の変の真実が、まだ飲み込めていない。明智光秀ではなく、密かにイエズス会が謀議実行の主体だったとしたら、暗殺には成功しても戦略としては失敗ではないか? 豊臣秀吉、徳川家康と順次反キリシタンが天下をとっていった。その後の趨勢からの結果論とはいえ、比較すれば信長はずっと好意的な方だったろうに。政宗がキリシタンではないとすると、他に誰か天下のとれそうなキリシタン大名はいただろうか。

 神道は元々中身が無いから仏教の大量の経典には圧倒されてしまうし、理屈では適わない。神主は何の自論も論理もてんで持ち合わせていないから、無学そのもので論争にもならない。だから負けてしまって、ずっと偉そうな仏教に屈従していた。仏教と論理で張り合えるのは儒教であるが、日本では仏僧が儒学をしている。これぞまさしく茶坊主だ。

 日本には儒教徒がいないのは、必要ないからである。仏教徒が同時に儒学者だったりするので間に合っているということだ。僧侶階級は役人階級と一緒も同然なのである。外来宗教は全部特殊日本流に変質していく。富永仲基、内藤湖南、そして副島隆彦先生という大きい系譜で真実が伝わり暴露、露呈されている。遠藤周作もそれを小説での表現ということで指摘していた。まさに日本は「すべてのものを腐らせていく沼」である。外来文化は全て沼に浸かって腐蝕させてから取り込まれる。それが日本独自の国風文化でありオリジナリティの源泉ならぬ源沼の正体である。

 日本では天皇ですら引退したら仏教徒として法皇になったりする。もし神道の頂点としての祭主なのであれば、何故仏教に帰依する? 神道と仏教は根源は一緒、か? つまり明治維新以後の国家神道は、元勲達が目的を持って新しく作った国家体制(国体)である。王政復古の原点回帰などと言ってみても虚しい。

 神話というのは民族というか部族ごとに伝統ということで大抵持っているものであって珍しくもない。神道は八百万の神というくらい多神教の中でも神が多い上に、死んだ人も祟り神はじめ神様になっていって、際限なく増え続けるので総数は不明であり、定義も曖昧なので数えようがない。あまりに多過ぎるので、かえって現世においては現人神の今上天皇1人に信仰対象をまとめて結束出来るという、なんとも日本らしいご都合主義である。

 私見では神道は仏教に従属する必要はなく、解放されたのはいいが国家神道などと言って二度と威張りだすんじゃない。アホだら仏教に自分達が取って代わったのが良くない。神道は年間行事だけやって、参拝客の相手をして、後は何もしないのが一番いい。

 カトリックにおいてローマ法王は神の代理人だが、国家神道(日本教、天皇教)において今上天皇は現人神・神であるから、昭和天皇の人間宣言(したと思われているので、本当は意図が違っていたとしても同じこと)などで神性を否定されると急性アノミーが発症する。山本七平や小室先生が日本の宗教の奇妙さを解明している。

 ローマ法王は最初から100パーセント人間なのでそもそも神性の否定問題などない(はず)。それよりもイエスの神性という教義上の問題が最重要である。神道には神義論も何もない。

 だからダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』(The Da Vinci Code)とその映画は甚大な影響を及ぼすのは理解出来る。近代人だから表面上では平気な人達だけど。

 別に完全な神であると同時に完全な人でもあるんだったら、奥さん(マグダラのマリア)と子供(サラ)がいたっていいじゃないかと私なんかは率直にそう思いますけどね。仮の父親(だとして)のヨセフも聖母マリアもただの人なんだから、子供や子孫だってただの人でしょうに。ヨセフの(前妻との?)子供である女子2人(?)のうちの1人がマリアなのか?

 この時代の人達は安易に女子に「マリア」という名前を付けすぎだと思う……3人のマリアどころじゃなく紛らわしい。とにかく先生の阿弥陀如来、観音菩薩、マグダラのマリアは3位1体ではないが大変重要。

 釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は出家する前、耶輸陀羅(ヤショーダラー)という人と結婚して、羅ご羅(ラーフラ。「ご」は偏が「目」で旁が「候」)という男児がいるが、何の問題もないし取り立てて秘密でもない。神ではなく人であったからだろう。

 青森県のキリストの墓は発掘調査しても仕方ないと思うけど、ルーブル美術館のガラス逆さピラミッドの下がどうなってるのかは気になって仕方がない。設計者のイオ・ミン・ペイは何か知っているのだろうか。フランソワ・ミッテランも世を去っていることですし、工事の際にどうしたのかなど、是非とも教えてほしい。っていうか今のシオン修道会の総長、誰なんだろう。解散してなければ。

 

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遠藤周作 – Wikipedia
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沈黙 (遠藤周作) – Wikipedia
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クリストファン・フェレイラ – Wikipedia
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ジュゼッペ・キアラ – Wikipedia
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井上政重 – Wikipedia
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内村鑑三 – Wikipedia
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賀川豊彦 – Wikipedia
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曽野綾子 – Wikipedia
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渡部昇一 – Wikipedia
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谷崎潤一郎 – Wikipedia
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アルフレッド・ノーベル – Wikipedia
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天平の甍 – Wikipedia
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大江健三郎 – Wikipedia
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マーティン・スコセッシ – Wikipedia
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イグナチオ・デ・ロヨラ – Wikipedia
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