『死に至る病』

会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2010/11/21 07:05

 会員番号4655の佐藤裕一です。

 下の[77]「Re:[75]佐藤君へ」についてですが、李漢栄さん申し訳ございません、というよりも失礼致しました。メールを送ると言っておきながら、未だ送っていません。そうこうしているうちに、李さんは代休をとられるそうなので、お忙しいうちに私信で煩わせ、お手数をおかけする可能性を発生させてもなんですから、その後にメールをさせて頂いた方がよろしいかと存じます。

 私にはメール(携帯電話、パソコン共に)という文化、習慣がいまいちしっくりこないというか定着しないで、この2010年まで来ました。昨今、メールが他の意思伝達手段に押されていますが、完全に取って代わられ廃れるという程ではないと思います。時代の変化が急速であるとはいえ、私の動きは何かにつけて遅すぎました。

 

 2010年11月16日(火)から最近、脳の調子が不調で、かなり参っていました。今後の克服課題である睡魔・睡眠欲に救われてしまって、そして読書や情報に逃げおおせて、今日は少し落ち着いています。

 投稿日は2010年11月21日(日)になりましたが、以下の文章は少し前から書いていたものも含まれます。今回は基本、「だ・である」調の断定文体を避け、「です・ます」調でいきたいと思います。

 脳が不調といっても頭痛がするわけではなく、俗に言うスランプに近いのですが、それは仕事が出来る人に訪れる波の下降と低迷から脱出出来ないでいることを指すのですから、「自意識」過剰というものでしょうが、まぁ万年スランプといったところですか。

 おそらくは脳内の「思考」か、「意思」「精神」などの問題です。そうでなければ「性格」や「生き方」「習慣」「癖」の問題です。

 私としては、一番の問題は脳の機能である「思考」の状態だと考えていますが、そう思い込みたいだけの可能性もあります。「性格」の問題でもあのですが、これは言わば俗に、普段からどういった「思考回路」をしている人間であるか、ということになるかと存じます。

 もちろん他にも似たような言葉がいっぱいありまして、ニュアンスというか使いどころがそれぞれあるのですが、自他共に理解混濁の元になるので今回は多用しないようつとめます。この「理解」も一種ですね。人間の頭脳の作用に関連してくる言葉です。

 学術用語の厳密な学問的定義や、日本語と英語その他外国語との対応0関係については、正直私はお手上げです。なので英語を避け、安易に「心」「魂」「霊」「氣」「感情」「情緒」などという言葉を、なるべく避けたいです。

 なおさら厄介である「精神」「心理」「理性」「気概」「勇気」などという「概念」も、深い議論を提示したいわけでもないこの際、封印致します。しかし中でも「理性」「合理性」即ち「利性」は、やはり抜き難く関わっているのでしょう。

 それで、脳の調子が好調な時があるのか否かと聞かれれば、自分なりにはあります。

 今現在の私の場合、不調だという意識に常に苛まれることによって、最初から能力が全然足りないだけの話という、冷酷な現実から半ば逃れ出ることが普段は得意な脳が、うまく作動しない状態に陥っている、という自分についての「現状認識」が「思考」から除去出来ない状態です。

 上の文章のような簡潔でない駄目文章になるのもその影響かといえば、これは元からの欠点が低迷によって更に酷くなる傾向にあるということのようです。

 何か統合失調症(精神分裂病)かうつ病などの、精神疾患にかかったのかという話になりそうですが、幻覚は見えないのでどうかなと思います。うつ、といえば憂鬱だから、うつだ。自分の現状に納得出来ないのですから。もっと言うと自分の中で私の脳が、「心」や「感情」といった「何か」を納得させられなくなっている、理論で説き伏せられない状態である、ということです。

 ちょうど李さんのブログサイト、2010年11月20日投稿記事「★★ どうせ精神科医の書いた本 「夜と霧」」に、精神科や心理学について端的な見解が示されています。『夜と霧』の作者、ヴィクトル・E・フランクル(Viktor Emil Frankl,1905年3月26日 – 1997年9月2日)というかたのことは存じ上げませんでした。

 

異端医師の独り言
http://blog.livedoor.jp/leeshounann/

ヴィクトール・フランクル – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィクトール・フランクル

夜と霧 (文学) – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/夜と霧_(文学)

 

 ところで、セーレン・キェルケゴール(デンマーク語: Soren Aabye Kierkegaard、1813年5月5日 – 1855年11月11日)という、いけ好かないデンマーク人フィロソファー(愛知学者)の、これまた全然好きになれない代表的著作に、『死に至る病』という本があります。

 

セーレン・キェルケゴール – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/セーレン・キェルケゴール

死に至る病 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/死に至る病

 

 だいぶ前に、義務感を伴う苦痛を味わいながら最後まで読み通しましたが、きっと岩波の翻訳どうこうの話じゃなくて、例え翻訳が最上であっても似たような、苦々しく忌々しい読後感想だったことでしょう。原文が読めないので原典にあたれないため、それ以上はなんとも言えませんが、これは恐らく相性の問題があるでしょうけれども、それ以外にも、フィロソフィー(愛知学)として、あまりに恐ろしい分野を題材にしている本だから、その恐怖が私にはあります。やはりその恐さには、同時に惹かれるものがあります。

 それで実存主義(よく分からない)フィロソファーであるキェルケゴールによれば「死に至る病」は何かといえば「絶望」のことだそうです。といっても当然これはキリスト教世界が前提であり、聖書にあるエピソードから始まり解釈に終わるので、東アジア人の非クリスチャンである私には到底当てはまりません。

 その文章は例によって難解極まりないのですが、あぁしゃらくさい、どーせ真のクリスチャン以外は全部駄目なんじゃん、真のクリスチャン以外、異教徒・無神論者・不信仰者その他は行き着くところ全部絶望と死しかないんだろ、全員救われないんだろーが、こんにゃろ~。おまけに第二編で「絶望は罪」だとかのたまいやがって!

 しかしそれでも、著者の真意を無視してキリスト教云々を抜きにして考えれば、「死に至る病」の1つに「絶望」が挙げられると思います。これは著者のような近代人としての「近代の病」であるところの段階にまで到達していなくても、現代では近代化の波が押し寄せていない社会や国家などほとんどないので、前近代日本でもどこでも普通に通じます。現時点での私の考えと言うか「実感」では前近代社会において、中途半端に近代化されかかっている「人格」の持ち主が危ない。

 そうすると危ない時に読んではいけない本か、というと人それぞれでしょう。私なんかは弱っていましたが、「絶望の淵」を彷徨っているところをこの本で、「絶望の崖」まで追い立てられて突き落とされたのに、幾分気が楽になるという奇妙な感覚で、実に人間の内面というのは複雑怪奇。理解困難です。安易に彷徨える者に光明を与える導きの書とか言ってはいけない。本当に人それぞれです。

 日本人はまだほとんど大部分が前近代人なので、主要因の筆頭は経済苦や人間関係、「アノミー」などでしょう。もちろん以上の原因だって「絶望」しているということの範疇に含まれますが、「絶望」が後についてくるという位置付けですね。まず自分自身としての「絶望」が先にくる人は増加しているであろうとはいえ、まだまだ少ないのでしょう。近代の狂気と無縁の衆生というのは、幸せでいられるのかも。

 キェルケゴールと違って、ここで私が言う「死」というのは「精神的な死」だとか、最後の審判によって神に与えられた「永遠の死」だとか、そういう深い話ではありません。単なる「肉体的な死」です。彼はカトリックなのだとばかり思っていたら当初は牧師を目指していたということで、晩年は世俗と妥協するルター派のデンマーク国教会を批判していたといいますからやはり信仰上の遍歴というのは簡単ではなく、特定の宗派ではない原始キリスト教(?)の「精神」の復興を唱導していた、という理解でいいのでしょうか。エキュメニカル運動とか思想統一とか、そういうところにある感じの人じゃなくて、本当に純粋な想いの人だったのでしょう。そういう部分には共感を抱きます。

 私がキェルケゴールに半分違和感を抱くのはある程度仕方がないことで、私は非クリスチャンなので、キリスト教の神とアダムとイヴの原罪、そしてイエス・キリストの贖罪などの聖書のエピソードについて自己同一化体験が出来ないというか、自分を重ね合わせることとして想像が出来ないのです。

 生きている人間が何故、自ら「肉体的な死」を選ぶのでしょうか。詳しい統計数値などは分かりませんが、「絶望」は理由の筆頭とまではいかなくとも、上位に位置するでしょう。といっても「絶望」に至る理由が各人の事情によって異なります。

 私は『死に至る病』のある文章が気にかかり、赤線を引いていました。

「第一編 死に至る病とは絶望のことである。」の「三 この病(絶望)の諸形態。」の「A、絶望が意識されているかいないかという点を問題とせずに考察せられた場合の絶望。したがってここでは綜合の諸契機のみが問題となる。」の「a、有限性と無限性との規定のもとに見られたる絶望。」の「β、有限性の絶望は無限性の欠乏に存する。」の中の文章です。

 なんのこっちゃとなりますが、分類ごとにそれぞれ「絶望」の形態を分析、詳しく解説するという形式をとっているので、このように項目が細分化されています。「β、有限性の絶望は無限性の欠乏に存する。」と並ぶ形態上の分類として他には以下があります。

 a、有限性と無限性との規定のもとに見られたる絶望。
  α、無限性の絶望は有限性の欠乏に存する。
  β、有限性の絶望は無限性の欠乏に存する。

 b、可能性と必然性との規定のもとに見られたる絶望。
  α、可能性の絶望は必然性の欠乏に存する。
  β、必然性の絶望は可能性の欠乏に存する。

 とてもじゃないが全編通して読み返す気は起こらないのですけれども、個人的な読後感想としては、第二編よりも第一編に注目しています。その第一編の中でも特に、上記4つの最小単位の項目に書かれている著述部分が大変重要であると思いました。この現代の日本人においても各個人に適用出来るような、普遍性のようなものを具え、保っているのではないかと感ぜられました。諸契機、つまりきっかけや原因という観点からの考察です。この4項目を読み返してみると最初に引いた文章以外も次々と気になり、赤線だらけになってしまいました。

 ですから私は相性が悪いし気に食わないけれども、さすがに彼は大フィロソファーの1人であります。考えたくもないような、それを言ってはお終いよというような、人生における地獄の釜の蓋が開いているところに突き落とすような、身も蓋もないところを、臆するところなく取り扱っています。当時の教会との激烈な思想闘争の途中、街頭に倒れるという生涯の閉じ方には、時代を超えても尊敬の念とある種の感動、憧れを抱きます。リバータリアンといったら表現がおかしいですが、信仰上の個人主義者、唯一の神の前における個人主義者です。今回、少し印象が変わりました。

 それでは『死に至る病』から計4項目のうち、ずっと以前に読了した際、最初に赤線を引いた箇所(中心部分)とその周辺の文章だけを抜粋して引用致します。ルビや訳注番号などは省きます。

 

(佐藤裕一による引用始め)

 絶望のこの形態には世間では全然といってもいいくらい気づいていない。

(中略)

 一般に世間は(これは当然のことだが)真実に怖るべきものの何たるかを全然理解していない。
(中略)

 例えば、饒舌には十度の、沈黙には一度の後悔があるということがいわれる。なぜであるか? 口に出していったということはひとつの外的な事実であり、それ自身ひとつの現実なのであるから、それはひとをいろいろな煩らいのうちに捲きこみうるからである。けれどももし口に出していわなかったとしたら! 実はこれこそ危険きわまることなのである。というのは沈黙においては人間は全く自己自身へと孤立せしめられる、そこでは現実がやってきて彼の世話をやくということがない、――現実が彼の言葉の結果を彼の上に齎らしはしない。けれどもまさしくその故に、怖るべきものの何たるかを知っている人は、その進路を内側にとって外に何の痕跡をも残さないような罪・咎をこそ何にもまして最も怖れるのである。それからまた、世間の眼から見ると冒険は危険である。なぜであるか? 冒険には失敗の可能性がつきまとうから。冒険しないこと、それが賢明である! しかも我々は冒険さえすれば容易に失うことのないもの(よしほかにいかに多くのものを失おうとも)をかえって冒険をしないために怖ろしいほどやすやすと失うことがありうるのである、――すなわち自己自身を。少なくとも冒険するものはかくもやすやすと、あたかも何も失われはしなかったかのようにかくもやすやすと、自己自身を失うというようなことはない。もし私の冒険が誤まっていたとすれば、そのときはそのときで、人生が刑罰によって私を救ってくれるであろう。しかしもし私が全然冒険を試みなかったとしたら、一体誰が私を救ってくれるのであるか? ことにもし私が最高の意味での冒険(最高の意味で冒険とは自己自身を凝視することにほかならない)を避けて通った卑怯のおかげで、あらゆる地上的な利益を獲得することはできたが、――自己自身はこれを喪失したとしたら?

(中略)

 世間と呼ばれているものは、もしこういってよければ、いわば世間に身売りしているような人々からだけ出来上がっているのである。

(中略)

 ――しかし彼等は彼等自身ではない。彼等がその他の点でいかに利己的であろうとも、精神的な意味では何等の自己――そのためには彼等が一切を賭しうるような自己、――をも彼等は所有していない。

(佐藤裕一による引用終わり)『死に至る病』(キェルケゴール著、斎藤信治訳、岩波書店刊、1939年11月29日 第1刷発行、1957年6月5日 第23刷改版発行、2008年2月5日 第95刷発行、54~56頁から引用)

Amazon.co.jp: 死に至る病 (岩波文庫) キェルケゴール, 斎藤 信治 本
http://www.amazon.co.jp/死に至る病-岩波文庫-キェルケゴール/dp/4003363531

 

 さて、私の座右の銘は先生の言葉、「空間的利益を求めた者は時間の流れに耐えられないという処罰を受ける」です。これも私の「焦燥感」、現時点の「精神状態」に大きくは関わっています。ここの旧掲示板に昨年私が投稿した中から、当該部分と関連部分を2つ、繰り上げて再掲するということで、転載貼り付け致します。

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

[412] 空間的利益を求めた者は時間の流れに耐えられないという処罰を受ける 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/07/12(Sun) 09:52:48

 会員番号4655の佐藤裕一です。
 私は座右の銘という古臭くさい言葉が昔からあまり好きではありませんでした。他人の言葉を自分の思考・行動の指針にする、ということだからです。

 辞書を引いてみたら、「身近に記しておいて、戒めとすることばや文」とありました。

 私の座右の銘は、上のタイトルの文に決定したいと思います。

「空間的利益を求めた者は時間の流れに耐えられないという処罰を受ける」

 これは、副島隆彦先生の『テロ世界戦争と日本の行方 アメリカよ、驕る無かれ!』の中にある文章を略したものです。
 
 この一文を読んで、それから漠然と印象に残っていました。ずいぶん後になってから、もう一度読みたいと思ったのですが、どうも『属国・日本論を超えて』の、真実の期間計算の辺りに載っていると思い込んでいたようで、それから先生の著作を沢山読み返して探すことになってしまいました。

『テロ世界戦争と日本の行方 アメリカよ、驕る無かれ!』ですが、最近になって改めて読み返してみました。第1刷が2001年11月15日で、9.11同時多発テロ事件の後に、先生が急いで当時の時点での、世界の政治情勢を観測し、まとめて出版したものだということがよく分かります。それから、日本の戦後政治の真実についてですね。

 時事的な性質上、現在になって内容が少し古く感じてしまうのは仕方ありません。9.11のことも、内部犯行の疑いを抱いてはいますが、証拠が揃っていない状態なので、断言出来ていません。あの時点で全部何もかも分かっていろというのは無理です。

 むしろ2001年という、当時の状況を思い出すことに役立ちます。先生は、本物の知識人は、何年か過ぎ去った過去を振り返ることが大事だ、とおっしゃっていたと記憶しています。私はどうしても目先、目先になりがちです。

 では座右の銘にする一文が載っている個所を、菊地さんのご指導に従って引用してみます。

 <茨の道を歩むのは、今度はそっちの方だぞ。私たちの代りに、今度は、あんたらが、牢屋に入ってもらおうじゃないか、と立花隆らに言いたい。しかし、彼らはそんなに潔い人たちではない。私は、よーく知っている。言論界などで有名なもの書きなんかになっている人間たちのほとんどは、屑のような連中だ。責任感などさらさらない。いつも、時代に合わせて上手に生きることばかり考えている。「あの人は使い易いからいい」と、テレビの報道番組を作っている連中は必ず言う。
 テレビに出て、うまい具合に使われて、時代に迎合したら、そのあと、時代の流れが変わった時に棄てられるのだ、とどうして分からないのだろう。その時々の、空間的な広がり(視聴率1%あたりで、丁度、100万人だという。本当は50万人だ)を求めたら、今度は、時間の経過による真実の露見という復讐に遭うのだ。空間的利益を求めた者は、時間の流れに耐えられないという処罰を受けるのだ。本物の知識人は、時間にこそ耐えなければならない。
 その時々は、みんなにとってどんなに耳障りなことであっても、発言してじっと耐えて、ひたすら事実に附いて、真実を追い求めなければならない。
 あの時期、角栄を、日本を豊かにした政治家として、小室直樹ひとりが、袋叩きにあい、奇矯の言論人扱いされながらも、頑張っていた。私は、だから、この人こそまさしく私の先生だと思った。
 真実を握り締めて、孤立して孤独な闘いを続ける者たちは、ずっと冷や飯を食いつづける。
 いつの時代もそうなのだろう。ただし、この書き方は、昔は、左翼の正義漢たちの吐く言葉だった。しかし日本の左翼が馬鹿左翼になりはてて消えていなくなったあとは、保守派の中の本物の少数派が、保守言論界の中からもつまはじきにされながら、隅っこに追いやられて、細々と生き延びるという構図になった。>
(副島隆彦『テロ世界戦争と日本の行方 アメリカよ驕る無かれ!』、弓立社、2001年、222~223項)(私が持っているのは第2刷)

 やはり、いくら時事的な本とはいえ先生の本ですから、時間の経過に耐えられる、キラリと光る人間社会の真実の記述が各所にあります。中でも上記の文章は凄い。

 これから日本で本物の知識人を目指す、全員が志すべき言葉がここにあるといっても過言ではありません。

 真の国民政治家・指導者の田中角栄に仕掛けられた謀略については、私は文章や記録映像でしか捉えられないので、どうしても実感を持てないところがあります。私の一番古い、テレビの生中継で見た首相は宮沢喜一だったと思います。アメリカだとパパブッシュですね。何故だかビル・クリントンよりもブッシュ再選支持派だった記憶があります。なーんにも分かってなかったんですね。周りのガキと比べても輪をかけて馬鹿でした。

 私は立花隆氏のことは、よく知りません。もう私の世代では、いくら当時のことを振り返って勉強すべきだといっても、なかなか彼らの本を購読してみる気にはなれません。しかしそれに関連して先生の至言というか、箴言が出てくるきっかけになったことについては立花氏に感謝しなければなりません。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 

(佐藤裕一による転載貼り付け始め)

[413] 自分自身の存在の主人公になりたい 投稿者:会員番号4655 佐藤裕一 投稿日:2009/07/13(Mon) 05:49:42

 会員番号4655の佐藤裕一です。
 [412] では副島隆彦先生の著作『テロ世界戦争と日本の行方 アメリカよ、驕る無かれ!』から、私が、自分の座右の銘と決めた一文、「空間的利益を求めた者は時間の流れに耐えられないという処罰を受ける」が書いてあるページの文章を引用致しました。

 2001年に書かれたこの本は、どうしても時事的な文章や記事が多いのですが、それでも現在にそのまま通用し、当てはまる事実や真実が随所に書かれています。

 私は、上記の一文が書いてあるからという理由で、それがきっかけとなってこの本を読み返しました。

 しかし、この情報氾濫社会では、次々に新しい本が出版されますし、読むべき本なのに未だ読めていない本もありますし、映像作品も沢山出ますし、ネットの情報を追いかける作業に追われていたりします。自分が文章を書いて発表する立場の人間はなおさら忙しいでしょう。

 あまりに新しい局面が矢継ぎ早に訪れるため、現代人には過去の作品(本以外の映像作品も)に時間を割く余裕がありません。

 自分が一度読み終わった本をまた読むという作業は、読書人階級でさえ、そうそう出来ないというか、しないのではないでしょうか(私は読書人というほど読んでいません)。

 副島先生の著作郡の場合、「映画」「英語」「法律」「月面」「訳本」に関しては専門性が高いために、何度も読む頻度が高いと思います。読み手の興味と相性によっても違いますが、私は「映画」と「英語」が圧倒的に多いです。あと「歴史漫画」は、人によると思いますが基本的に読みやすいので、手にとり易いかと推測します。

「政治・社会」「金融・経済」などは、政治思想や真理や法則などの普遍的な部分が輝きを放っています。しかし、たぶんに現状・推移の観察・時事的・流動的なものが含まれるので、内容が古びやすい部分があるのは仕方ありません。副島先生の著作でさえ、なかなか読み返すことが少ないのですから、有象無象の知識人達の読み捨て消費本など話になりません。

『テロ世界戦争と日本の行方 アメリカよ、驕る無かれ!』を読んで、滅多にしない赤線引きもしてみました。私は、本に何か書き込むということに対する抵抗が、なかなか強いです。

 それでは、この本の中で2番目に惹かれた、「自分自身の存在の主人公になりたい」という一文が載っている文章を引用致します。

 <それは、日本知識人の中で、唯一私が、自分の視点を、世界視点、帝国中枢からの視点、世界の中心の最高権力層からの視点に移行させることに成功しているからだ。

 やれ、「日本は、アメリカにべったりくっついていかないと、やっぱり危ない」「日米同盟が全てに優先する。あんな中国(人)みたいな信用の置けない連中と仲良くしてもどうせいい事はない。あいつらは性質の悪い人間たちだ」とか、「日本は、地政学的(ジオポリティカル)に見て、どうしても、中国とアメリカの板ばさみになるから、アメリカにしっかりくっついていないと、国の安全と繁栄を守れないのだ」とか、立派な男たちは一様にそう言う。
 先日も、私は、レストランの隣の席の中年オヤジが、そう言うことを自分の家族にまくし立てているのを聞いていた。回りの者達は黙々と食べていた。
 そうはっきりとは口に出さなくても、この中年オヤジの鬱屈した表情の下から、例のつぶやきが聞こえるようだった。「日本は、アメリカの言う事を聞くしかないんだ。仕方がないんだ」、これが、日米同盟最優先主義の立場である。いつまでも、いつまでも、そうやってひたすら属国をやっているがいいのだ。立派な責任感のある男たちは、そうやって、忍従の果ての、奴隷根性にも似た、ただ堪えるだけの惨めなサラリーマン人生を生きてゆけばいいのだ。
 私はいやだ。私は、自分の運命を自分の力でもぎ取る。自分自身の存在の主人公になりたい。だから、小泉・眞紀子・塩爺の、決意のある、やや居直り気味の新政権を今は支持する。
 たとえあと1年しか持たないとしても、それでいいのだ。あらゆる政権は、どうせすべて国民にとっての使い捨てだ。長ければ良いというものではない。今のうちに走れるところまで走って、言えるだけのことを自由に言って、拡張できる限りの限界まで、日本国の行動予測と利益・権益範囲の最大限を、今のうちに取ってしまえばいいのだ。アメリカさえが、唖然としている今のうちに。

 アメリカに何を恐れる必要があろうか。言いたい事を全て言えばいいのだ。いちいち自主規制などする必要は無い。日本人は自主規制ばっかりやって、言いたいことも言えずに我慢ばかりして生きてきた。我慢と忍従が体に染み付いてはがせなくなり、やがてそれが、奴隷根性になり果てたのだ。そういうことにさえ、自覚が無くなっている。
 国民の代表(民族指導者)が、世界皇帝に対して、言いたいことぐらい自由に言えばいいのだ。何に遠慮する事があるか。相手に嫌われようが、いやがられようが、言いたいことを言えばいいのだ。たとえそうやってみて、現実が少しも動かないとしても構わない。長い間に積み上げられた現実は、一気にどうにかなるものではないことは、はっきりしている。だからほっておいても、どうせ日米軍事同盟主軸で、日本はこのあとも動いて行く。この大きな枠組みは変わらない。 
 だがどうして、この肝心のときに、「日本は、なるべく自力でやって行く国になります」と言わないのか。中国かアメリカかどちらかにつくしかないのだ、という考え自体が決定的におかしい。日本は独立すべきなのだ。「日本、未だ独立せず」の現実こそ見つめるべきだ。この巧妙に仕組まれた現実をこそ、直視すべきなのだ。この事実から目をそむけるべきではない。
 日本人は、先の大戦をアメリカと戦って負けたのだ、という事実を忘れるべきではない。そのあと占領されて、属国化されてしまったのだ、という大きな事実を抜きに、政治に関わる何事も語るべきではない。それで、そのあと日本人に対する国民洗脳がアメリカから施された。
 どんな国だって、自分たちは周りの国々から包囲され狙われているのだ、と考えるものなのだ。中国だって、自分たち漢民族は、周囲をぐるりと、異民族国家群(含む、日本)に取り囲まれている、と考えている。時計回りにぐるりと、韓、日、台、ベトナム、チベット、インド、ウイグル、トルキスタン、モンゴル、旧満州、ロシアに包囲されている、という被害妄想を持っている。
 中国人の若いエリートたちと話してみると、私たち日本の愛国派の人間とまったく感受性と考え方にたいした違いはない。中国共産党という愚かな政党に支配されている国だが、それでも中国人は、私たちと同じような人間だ。ただし、あの尊大不遜な内心の中華思想を除いては。 
 韓国人は、自分たちは常に五大強国に包囲されている、と考えている。
 世界帝国であるアメリカだって、自分たちは、団結しつつあるヨーロッパ人と、中東のアラブ・イスラム圏と、ロシアと、その他の反感を持つ国々に注意を怠ると包囲される、と考えている。国際政治とは、そういうものなのだ。
 ところが日本人は、すぐに、「アメリカに守ってもらわないと、国の安全保障が危ない」と考える。企業経営者のような政治オンチではあるが責任感のある立派な男たちまでが、そのように考える。そんなに脅える事はないのだ。日本は、戦前、自前で自国の安全を守ってきた。連合艦隊も持っていた。それなのに、今はできない、などということがあるだろうか。十分に自力で国防をできるのである。何をそんなに、過剰に怯える必要があるだろう。全ては、敗戦後のアメリカのニューディーラー(元祖グローバリスト=フランクリン・ルーズベルトおよびその背後のロックフェラー財閥)によるマインド・コントロールのせいである。>
(副島隆彦『テロ世界戦争と日本の行方 アメリカよ、驕る無かれ!』弓立社、2001年、90~93項)(私のは第2刷)

 少し長いですが前後の文章も引用致しました。

「だから、小泉・眞紀子・塩爺の、決意のある、やや居直り気味の新政権を今は支持する」の辺りは、先生が小泉純一郎首相(当時)を、ポピュリストの性質があると分析し、少し期待していた節が伺えます。
 
 実際、政権に田中真紀子外相が、更迭されるまで居たことですし、仕組まれた事とは言え、反主流派の小泉氏に国民の人気もあった訳ですから、政権初期にはポピュリズム的性格がほんの少しは有った、と言えるのでしょう。似て非なるものであり、期待外れでした。
 
 もし日本が世界覇権国家だったならば、竹中氏は財務省と東大支配に挑んだポピュリストですね。しかし日本はただの国ですから、高級官僚・東大支配がいくら国内最高権力だといっても、外圧のほうが上なわけです。アメリカにだけは抵抗せずに仲良くして外圧に守ってもらい、官僚とだけ戦うポピュリストという形態も、ありなんでしょうか。

 むしろ後になって考えてみると、意外にも安倍元首相の方がポピュリストだったということになりますか。
 
 引用の文章は先生の固い決意表明が含まれたものです。他にもいくつか重要箇所に赤線を引きましたが、この本は現在も販売している商品でありますので、引用のし過ぎは控えたいと思います。

(佐藤裕一による転載貼り付け終わり)

 午前7時には書き込もうと考えていたので、続きは次から書いていくとして、一旦ここで投稿してしまいます。