小ネタ集(1):大河ドラマ「光る君へ」は現在の公務員社会そのものだ。

伊藤 投稿日:2024/07/16 10:07

伊藤睦月です。ここでは、投稿途中で気づいたことなど、軽めな話題を取り上げます。まずは、大河ドラマ「光る君へ」。

(1)副島先生も、「ぼやき」で語っておられますが、藤原道長=光源氏モデル説をベースに源氏物語、栄花物語、大鏡など当時の王朝文学や史実を織り込んで、道長+紫式部ほか女性たちとの不倫物語として、うまくまとめています。

(2)私が注目しているのが、当時の「除目(人事評価と人事異動)」のシーン。

(2-1)まず自己申告制であること。ほら3アイテムの登場です。自己申告に基づき、査定するのです。

(2-2)自己申告書は「漢文」標記であること。

当時から江戸時代まで、公家の公用語(書き言葉)は漢文、つまり中国語、でした。これだけを見ても,我が国は、中国の文化的属国であったことがあわかります。(そこから脱するための悪戦苦闘を描いたのが、井上ひさし「国語元年」という戯曲です)

(2-3)除目(人事異動)は、縁故だけでなく、実力本位の面もあった(紫式部の父親が語学力を買われて、淡路守から越前守(5位)に抜擢されたのは、史実で、そのおかげで当初越前守に内定し、淡路守に格下げになった人はメンタル病んで、早死にしたそうです。(おそらく自殺)そうでないと当時でも行政回らないこともあったのでしょう。これも現在の役所と同じ、といえば、不謹慎化かも。

(2-4)除目前後の貴族たちの立ち居振る舞いや、ドタバタなど、現在の役所のそれを見ているようで笑える(もっとも現役離れたから、そういえるのかも。渦中にいたときは、私も喜怒哀楽会ったことは認めます。)除目に関する人間描写は、「枕草子」や「今昔物語集」にもいきいきと描かれています。

(2-5)当時の受領階級(国司として現地赴任した人々)がいかに「私腹」を肥やしていたか、またそれは当たり前のことで、「私腹を肥やさない」方が、空気読めない「困った人」だったことが良く描かれています。今でもそうかも。

(2-6)直轄領(建前は公地公民制だが、私領である荘園が普及していた)からの税(物納)は、律令で税率とか一応決まっていたけど、当時は「徴税請負制」のような形態であったと思われます。そうなると、国庫に納める分を収めてしまえば、あとは取り放題、どれくらいで抑えるかが、「強欲」か「慈悲深い国司様」かが決まる。

(2-7)これも、中国伝来の行政術で「清官三代」といって、清廉潔白な「官」でも、自分、子、孫の代まで裕福に暮らせる蓄財ができる、といわれたくらい。だから、今の収賄、横領と感覚が違いすぎます。これに上級貴族ともなると、さらに、私領(荘園)からの上納が入りますから、莫大なものになっており、藤原道長前後の時代がその絶頂期でした。平氏など裕福な武士が台頭するのは、その半世紀位後です。そんなところも、紫式部の目を通して、わかりやすく描かれています。

(2-8)当時の「有職故実」(儀式内容など)は上級貴族の一族相伝みたいなところがあり、その多くは、日記に備忘録の形で記録されました。藤原実資(ロバート秋山が怪演)の「小右記」が有名です。実資は当時としては珍しく、聞かれればノウハウを気前よく公開したので、人望が高く、藤原道長も一目置く存在でした。そのへんの心理的かけひきもドラマにでてきます。

(2-8)また官服(衣冠束帯)の色。ドラマでは、紫式部の父親が、5位に昇進の際に6位の官服(緑色)しかもっていなかったので、紫式部の夫に5位の官服(朱色)を借りに行く、というシーンがあります。当時は、官位によって着ることができる服の色が決まっていたのです。ちなみに、紫衣は3位(参議クラス)以上。例の奝然(ちょうねん)坊主が北宋太宗皇帝から、、日本での官位(6位:緑衣)から紫衣を与えられ、3位としてから、謁見を許したとの話、覚えていますか。

以上、大河ドラマに関する小ネタ、いくつかご紹介しました。大河ドラマは史実などではなく、いわゆるファンタジーなのですが、時代考証にうるさい視聴者が多いらしくて、専門家でかなり厳密な考証をしているそうです。10数年前の「平清盛」(松山ケンイチ主演)ぐらいからだそうです。このときは、時代考証厳密すぎて、全体的に地味な装束になり、観光PRにならない、と地元からクレームが出たそうですが。

また、小ネタ思いついたら、投稿します。

(以上、伊藤睦月筆)