「お役所仕事」は中国伝統の政治・行政スキルだ(2)中国正史の書かれ方
伊藤睦月です。私のいう「お役所仕事」は、古代から今現在に至るまで存在し、それで世の中の相当部分が、動いていることは、疑いのないところです。ここでは、古代編、ということで、わたくし伊藤が、ふじむら掲示板に投稿している歴史論考における、中国正史をとりあげます。私の理解の仕方が、大方の支持をえられるかわからない。が、一番わかりやすい、と考えています。以下私見を述べます。
(1)中国正史(歴代中国王朝の公式見解。必ずしも「真実」とは限らない)の、海外諸国の記述は、当時のインテリジェンスレポートだ。
(1-1)中国正史は、紀伝体(皇帝の実績:本紀とそれと関係する、家臣の実績:列伝中心の歴史記述方法)ですが、本紀、列伝以外の部分は、書、とか、志、とか、列伝の中に含まれることもありますが、皇帝、家臣の実績の関連情報、要するに、朝貢にきた、あるいはこなかった、周辺地域、国、の情報、ということになります。
(1-2)関連情報の部分は、客観的なデータでなく、魏志倭人伝のように、かなりバイアスがかかっていることもあります。(岡田英弘「日本史の誕生」)
(1-3)私、伊藤は、この関連情報の部分(主に倭、日本の部分)を読むと、何か既視感を感じるのです。ああ、これ私が現役時代によく書いた、調査レポート(出張記録、復命書)と同じじゃん、と。
(1-4)中国の史官は、まず、相手’倭とか新羅とか)の自己申告書を提出させます。自分たちの国は、そもそも何者か、場所はどのへんで、人口がどれくらいで、どういう外見をしてて、王様はだれで、どういう風俗習慣があって・・・などを記載した文書を提出させます。(文書主義、自己申請主義)
(1-5)史官は、その文書をチェックして、必要に応じ、内容確認(ヒヤリング)をします。
(1-6)内容確認をするのは、過去に提出され、採用された情報と異なる情報があった場合。史官は、過去の提出内容と、現在の使者の言い分(口頭もしくは文書)を聞いて、どちらかを採用しますが、大体は過去の内容を優先します。
(1-7)そのほか、史官は、自国人の訪問記録とか、他国にあげられた情報(いわゆる三韓に取り上げられた情報)なども参考にしますが、基本は、自己申請とヒヤリング、過去の実績(前例主義)をもとに、そして現王朝の各地に対する、思惑、忖度をいろいろ考えて、記述を確定させます。こういった一連の作業を「査定」といいます。
(1-8)日本の場合、①漢書地理志に初めて朝貢の記事登場、➁後漢書東夷伝で「漢委倭国王」の金印、➂魏志倭人伝で、邪馬台国女王と「親魏倭王」の金印、④
晋書で邪馬台国女王の最後の朝貢、④宋書(南北朝)で、「倭の五王」の記事と続き、⑤隋書で、遣隋使の無礼な手紙、と続きますが、諸国情報は、➂の記事から採用されている。
(1-9)これは、親魏倭王以来、本格的な、あるいは、上書きが必要な情報がなかった、あるいは中国側で、そう判断されたものと思われます。邪馬台国の後継だと認定されていました。
(1-10)⑤の遣隋使では、対等の関係を主張したようですが、中国側から一蹴(いっしゅう、即却下)され、お叱りの使者まで派遣されています。(裴世清の来日)中国側からすれば、中二病の子供に現実を教えてやろう、ということだと思います。それを日本側が拒否すれば、その時点で「敵国認定」され、戦争でしょうが、その時は、日本側はうまく切り抜けました。
(1-11)
この時、使者の報告書によって、倭に対する関連情報は上書きされた、と私、伊藤は見ていますが、中国側からすれば、結局はわが国に朝貢してきた、属国である、そして、本人が、邪馬台国の後継でない、と言っているのなら、「奴国」の後継だろう、ということにされた、と思います。中国側にとって、「使者」を派遣した、すなわち「朝貢使」でなければ、「敵国、反乱分子」ということしか相手を理解できなかった、と思います。そして、この中国側の見方は、明治時代まで変わることはありませんでした。
(1-12)伊藤睦月、です。ここで、「ふじむら掲示板」での投稿につながりました。次回から、「ふじむら掲示板」に戻ります。
(以上、伊藤睦月筆)