1 思いて学ばざれば、すなわちあやうし(2)検証個所の特定
伊藤睦月です。最初に守谷論文の検証個所を、摘出します。(重たい掲示板3150)
(引用はじめ)※番号は伊藤
①『古事記』は日本書紀と比べるとコンパクトで『日本書紀』のダイジェスト版のような印象を与える故にに、②『日本書紀』より早く成立していたのはおかしい、としばしば③『古事記』偽書説が唱えられてきた。
④しかし現在では、『日本書紀』が先で『古事記』が後にできたという『古事記』偽書説は、国語学の観点から「完全に」否定されている。(⑤大野晋『日本語は如何にして成立したか』など参照)
(引用終わり)
伊藤睦月です。今回の守谷君の論考の目的は、上記にあるのではなく、古事記本物説を前提に、次の議論に進みたいのだろうが、特に「古事記偽書説」を採用している副島隆彦先生の掲示板に投稿するにしては、議論が簡単すぎます。これは副島先生にも失礼だろう。
だから少し足踏みに付き合っていただく。
さて、話は、②、③から入ります。①については、古事記偽書説をとる研究者(大和岩男、三浦祐之、岡田英弘、副島隆彦など)も、大野晋のような古事記本物説をとる研究者(古事記学会に所属する研究者の大半)も、「古事記」が「日本書紀」のダイジェストのような印象を持っている、という研究者の存在を知りません、むしろ「古事記」を「日本書紀」とは違う特別な存在、と見做している研究者が大半です。で終わり、で、むきになるのは大人げない気もしますが、これについては、②、③を概観してから、再度戻りましょう。
では、次回また。
以上、伊藤睦月筆