覇権アメ第4章の次は、第2章を読む(3)「アメリカ建国の父」は何人いたか。また「建国の母」もいたらしい。

伊藤 投稿日:2025/08/20 11:28

伊藤睦月です。本日は、2025年8月20日です。前回の続き。

問2)「アメリカ建国の父」は何人いたか。

答)数え方はいろいろだが、最大52人。アメリカ小学校教科書に取り上げられている、有名どころは、8名。

 伊藤睦月です。

1)アメリカ独立の重要イベントして、①大陸会議、➁独立宣言、➂合衆国憲法、がある。英国からの独立をもくろむ13の植民地州は、それぞれに代表を数名送り込んだ。彼らは州の代表として、議決や署名を行い、英国との戦闘の際は、司令官や参謀として、活動した。この3つすべてに参加した者はほとんどいないらしい。

2)独立が達成され、政情が落ち着くと、彼らの大半は、地元に帰った。中央に残った者たちは、大統領になったり、連邦裁判所の判事になったり、中央政府の要職に就いた。その代表的な人物が8名いる。(この辺の状況は戊辰戦争後の状況に類似している、と思う。)

3)中央に残ったメンバーは、当時の超大国、英国の特に経済的圧力(経済封鎖)に対抗するため、各州の上に、連邦政府を置き、財政と外交・軍事面で各州をリードしようとした。これが、「連邦派」(フェデラリスト)。副島本にある「中央集権」志向の党派。

4)そういう、連邦政府の権限強化は、各州の「自由」を奪い取ろうとするもので、行政のトップである、大統領は「王(キング)になろうとしている」、その中でも「財政(通貨発行権)」は各州が持つべき。という考え、「ロックの自然権のキモは、財産権の保障だから、特に州の財産権である、「通貨発行権」を奪うのはけしからん」という考え。これが「地方分権派」の主張の骨子。

5)「中央集権派」の中心人物は、アレキサンダーハミルトン Alexander Hamilton  1755-1804。彼については、覇権アメ132ページ以下に詳しい。

6)ただ、覇権アメでは、「地方分権派」の代表として、アンドリュージャクソン1767-1845(第7代大統領)をあげているが、ジャクソンは、「建国の父たち」の次の世代。当時、ハミルトンにたちはだかった、地方分権派の大物は、トマス・ジェファーソンThomas Jefferson1743-1826、第3代大統領である。日本でいえば、西郷隆盛のごとき人物だ。(西郷は廃藩置県で中央集権化をすすめたが、ジェファーソンは違う)

7)ジェファーソンは、独立宣言の起草者として有名だが、ジェファーソンは、実は、アメリカ合衆国憲法(本文)を起草せず、署名していない。「大統領の権限が強すぎる」「財政権を州から取り上げるのは反対」というのが理由。

8)アメリカ合衆国憲法(本文)を起草したのは、ハミルトン、ジェームズマディソンJames Madison,Jr.1751-1836、第4代大統領、ジョン・ジェイJohn Jay1745-1829、の3人の連邦主義者たちで、彼らは「ザフェデラリスト、The Federalist,という、論文集を共同執筆して、その啓蒙普及に努めた。だから地方分権派のジェファーソンたが強く反対した。

9)2人は、それぞれ、会派(連邦党VS民主共和党)をつくって、政治抗争を続けたが、初代大統領、George Washington1732-17991732-1799の仲介で、とりあえず、和解した。アメリカ合衆国憲法の本文はいじらないが、ジェファーソンたちの主張は、修正条項で取り上げられた。以前私が、独立宣言は自然権的(ロック)、合衆国憲法は、自然法的(アリストテレス)である、といったのは、各起草者の思想の違いに注目したから。

10)ワシントン政権下で、ハミルトンは財務長官(財務担当)、ジェファーソンは、国務長官(外交担当)となって、とりあえず収まった。両派の争いは、国内問題に対する方針の違いによるものと思われ、外交では、ジョンジェイが、ジェファーソンのもと、英国との停戦(講和)条約締結に協力しているなど、大きな争いはなかったようだが、南部出身のジェファーソンは、英国との関係は宥和的であったようだ。北部出身のハミルトンたち、連邦主義者の方が、対英強硬派。

11)この両者の対立は、アメリカ建国のアイデンティティにかかわる根深いもので、その影響(しこり)は、現トランプ政権の政策にまで及んでいる。部外者(属国民)たる我々も、覇権アメを読んで、知っておくべきだ。

12)伊藤睦月です。以上を踏まえて「アメリカ建国の父たち8人衆」プラスについて、ザーッと紹介する。

①ジョージ・ワシントン(初代大統領)、バージニア州代表、独立軍司令官、基本、地方分権派だが、連邦派にも理解を示す。バランスが取れている。

➁ジョン・アダムJohn Adams 1735-1826、第2代大統領、マサチューセッツ州代表、アメリカ海軍の創始者、独立宣言起草者、外交担当として、フランクリンとともに、パリ条約締結に尽力した。どちらかといえば、連邦主義者より。彼の副大統領がジェファーソンで、再選を阻止された。奴隷制度には反対。第6代大統領、ジョン、クインシーアダムズ1767-1846は、彼の息子。

➂トマス・ジェファーソン(第3代大統領):既出

④ジェームズ・マディソン・ジュニア(第4代大統領):既出、「フェデラリスト」だが、合衆国憲法署名のときは、ジェファーソン側に味方した。自身が大統領になると、連邦主義的な政策を推し進めた。

⑤アレキサンダー・ハミルトン(ワシントン政権下の財務長官):フェデラリストの中心人物、覇権アメにも詳しく出ています。

⑥サミュエル・アダムズ Samuel Adams 1722-1803 マサチューセッツ代表、フランクリンとならぶ長老格。クセの強い13州をまとめて、独立戦争に導いた。連邦派、地方分権派どちらかは不明。

⑦ジョン・ジェイニューヨーク州代表 フェデラリスト、:既出、初代連邦最高裁長官、主に、外交担当、ワシントンの意向を受けて、調整した「ジェイ条約」は、英国に対して弱腰だと批判された。

⑧ベンジャミン・フランクリンBenjamin Franklin 1706-1790マサチューセッツ州代表 外交担当、当時から世界的に有名な学者、知識人。主にパリ社交界に出入りして、人気者になり、欧州各国とイギリスとの離間に貢献。戦費調達など、アメリカ独立支援の国際情勢を作り上げた。影の大功労者。長老格。ジェファーソンを助けて独立宣言の起草に加わった。

 以上が、「建国の父たち」のメジャー(教科書レベル)な8人衆。ほかにも各州を代表して、独立戦争に貢献した「地元のヒーロー」が50人近く、いたようだ。ウイキペディアに掲載されている。ほかにも、「建国の母」とよばれた女性たちがいたようだ。関心ある方はウイキペディアをご参照ください。(後で紹介するかもしれない)

とりあえず、小休止

以上、伊藤睦月記

 

 

 

 

 

 

 

 

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