真人について

会員番号2054 投稿日:2026/09/20 16:33

2054です。本日は2026年9月20日です。下條氏が重たい掲示板において「【3234】宇佐神宮と伊勢神宮の正確に西に王宮(御所)があった その1・その2」を投稿しています。しかし、現時点では誰も言及していない。この投稿には多くの疑義がありますが、今回は真人について考察したいと思います。以前、投稿を止めるとしましたが、撤回します。

(1)真人の意味について

下條氏は後半の投稿(その2)に真人(まひと)とは「本来は拓跋氏の系統という意味である」としています。

しかし、真人とは道教でいう悟りを開いた仙人に近い人を指し、紀元前から広く知られた概念です(『楚辞』『淮南子』など)。4世紀以降に歴史の表舞台に登場した北魏の拓跋氏を示す用語ではありません。

仮に北魏において「真人」という言葉が用いられていたとしても、それは中国大陸で古くから共有されていた道教的・神仙思想的なプラットフォームを拓跋氏が受容・利用したに過ぎず、言葉の起源や血統そのものを意味するものではありません。

(2)天武天皇の和風諡号について

下條氏は「瀛真人」としますが、ただしくは「天渟中原瀛真人(あまのぬなかはらおきのまひと)」です。

「渟」とは止まった水のことすなわち清らかな水にたたえられた場所のこと、「瀛」は神仙思想の東方海上の三神山の1つ、瀛州山からきたもの、そして「真人」は道教でいう悟りを開いた仙人に近い人を指します。だから、和風諡号は、「天上の静かで清い水をたたえた風土における仙人のような人」と解釈されます。

ここから言えるのは、天武天皇が神仙思想に傾斜した人物であることがわかります(小林恵子『倭王たちの七世紀』現代思潮新社p120)。拓跋氏の由来を示す根拠は見当たりません。

以上です。