思いて学ばざればすなわちあやうし(論語から)
伊藤睦月です。1か月ほど入院して、退院したので、学問道場の当掲示板を開いてみたら、かたせ2号さんの投稿がすべて、ごっそり消えていた。ちょっと驚いた。(その間スマホで見れたはずだが、自分の病状とオリンピック中継で、上の空だった)
また、「重たい掲示板」を開くと、国内外情勢の激動に真正面から切り結ぶ、副島先生の長ヘビーな投稿に圧倒されながらも、守谷君の相変わらずのイタイタシイ投稿に、あきれて、さてどうしようかと思案していた。
私、伊藤は、実は守谷君の発想はきらいではない。
ただ、我々がいくら上代日本文学や、日本古代史の門外漢(アカデミックな世界の住民ではない。もし守谷君がそうであったとしたら、驚きベきこと)といっても、最低限踏まえておくべき、「掟」があって、それを能天気に無視する、彼にいらつく。それは、そういう多少とも学問的な議論をするにあたり、最低限ふまえておくべき、文献、そして正確、適切な引用を踏まえた議論展開だ。
例えば、副島先生の日本古代史理解のベースは、岡田英弘と関裕二だ。この二人はアカデミックの世界では、異端の論者といってもよいが、それだけでなく、栗原や西嶋といった、研究者、いや真面目に勉強している学部生なら必ず、ふまえておくべき研究者の業績、文献を押さえたうえで持論を展開されている。(栗原、西嶋と言って、ピンとこない人は、この分野でまともに論じ合う価値はない)だから、副島日本史学は強靭であり、信頼できる議論となり、私も傾倒している。
守谷君の論考には、それが欠けている。だからこういう言い方をして申し訳ないが、「残念なダメ論文」で、いつも議論の入り口でつまづく。
今回の「重たい掲示板」に投稿された古事記に関する論考もそういう落とし穴に陥っている。少ししつこいかもしれないが、今後のこの掲示板での投稿で少し、突っ込みいれさせてもらう。
その前に、今回のポイントをいくつか。
1)守谷君の今回の古事記に関する論考の目的は、古事記と日本書紀という比較的近い時期に編纂、執筆された日本最古と言われる2つの歴史書の関係性
2)古事記の作者の一人である、「稗田阿礼」という人物の正体
についてだと理解しているが、その前提として、
1)古事記は日本書紀のダイジェスト版である。
2)古事記が日本書紀より古いことは、国語学によって、解決済み。したがって古事記偽書説の否定
ということを前提としているが、その論拠に問題がある。
まず、1)については、明らかに間違い。むしろ学会の方向は、両者がいかに違うか、という議論がトレンド。
2)については、1970年から2000年代にかけては、有力な説だったが、現在では学会では、古事記本物説の論拠として無意味化している。
2)ー2むしろ古事記本物説は、国語学の成果ではなく、考古学の成果、すなわち実際の編者「太安万侶」の墓誌の発見を根拠にして、1970年~2000年代まで、「古事記偽書説」を封じてきた。ところが、2000年代に入り、(もっと露骨に言えば、大野晋といった、学会の大物が死去してから)、有力な反対説(古事記序文偽書説)が現れ、活発な議論が今なお続いている。素人目には、偽書説の方が有力に思える。だから「決着済み」の議論ではない。守谷君は勉強不足である。
伊藤睦月です。守谷君がまたやらかした。彼の「自由奔放な発想」を全面否定はしないが、その前にやるべきことがある。勉強不足も甚だしい。三流大学の日本文学科の学生よりひどいと思う。
それに、守谷君が「重たい掲示板」に投稿しているのも問題だ。なぜなら、先述したように、副島史学の基盤学説は、「岡田英弘説」で、「古事記全面偽書説」(「日本史の誕生」、「倭国の時代」、「歴史とは何か」など学術書でなく、一般向けの著書で古事記偽書説を展開している)であり、副島先生も「古事記偽書説」に準拠しているのは明らか。そうであれば、守谷君は、副島先生主宰の掲示板で自説を披露する以上、副島=岡田説を論破、少なくとも言及するべきだが、あまりに議論が薄い、薄すぎると、私、伊藤は考えます。
以上議論の入り口部分だけで、守谷君の論考は大いに問題あり、と考えます。
以上、私の考えのポイントを提起した。今後は、多少細かい議論にも入っていきたいので、特に守谷君、ついてこれますよね。お楽しみはこれからだ。
以上、伊藤睦月筆