奥山誠(オクヤママコト)さんを見習って、それぞれの内容は理解可能だが、全体的には意図不明のわけのわからないキチガイ文章をつくってみる。

かたせ2号 タゴサク 投稿日:2026/01/18 07:51

件名_奥山誠(オクヤママコト)さんを見習って、それぞれの内容は理解可能だが、全体的には意図不明のわけのわからないキチガイ文章をつくってみる。

かたせ2号です。
2026年1月18日投稿。
ほんとに申し訳ない。これでおしまいで、6月末まで、書き込みはおしまいにします。

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奥山誠(オクヤママコト)さんがあまりにわけのわからない動画を出しているので、
腹がたって、
あなた(の発言)がどれだけ低レベルのひどいものか、わかってほしくて、
わたしが、これから、トータルで見て何がいいたいのか全く、意味不明のキチガイ文章を書いてみる。ひとつひとつの短文の意味はわかるけれども。。。

オクヤママコトさんは、これを読んで、深く反省してください。

1.
副島隆彦先生が、金の後に、「銀」が次に値打ちを上げる、暴騰すると書いておられる。
(重たい掲示板、2026年1月15日)。。。
ほんとにその通りで、いつも通りの鋭い現状分析に感服する。
銀は「貧困層の金(GOLD)」。まさに次の「買い」推奨。

2.
公開鍵方式は、「公開鍵(誰でも使える)」と「秘密鍵(自分だけが持つ)」のペアを使って情報を安全にやり取りする仕組みで、公開鍵で暗号化し、秘密鍵で復号します。送信者は受信者の公開鍵で暗号化して送り、受信者は自分の秘密鍵でしか解けないため、鍵が漏洩しても内容がバレず、安全に秘密のメッセージを送れるのです。
仕組みの簡単な流れ
鍵の準備: 受信者が「公開鍵」と「秘密鍵」のペアを生成します。
鍵の公開: 受信者は「公開鍵」をインターネット上に公開します(誰でも見られる状態)。秘密鍵は自分だけが大切に保管します。
暗号化: 送信者は、送りたいメッセージと受信者の「公開鍵」を使ってメッセージを暗号化(カギをかける)します。
送信: 暗号化されたメッセージ(暗号文)を受信者に送ります。
復号: 受信者は、自分の持っている「秘密鍵」を使って暗号文を元のメッセージに戻します(カギを開ける)。

3.
「二度あることは三度ある」とは、一度起きた悪いことや良くないことは、同じように二度目が起きたら三度目も繰り返される可能性が高いから注意すべきだ、という戒め(いましめ)の言葉です。物事は繰り返される性質があることを示し、特に失敗や災難が重なることを指すことが多いですが、良いことが続いた場合にも使われることがあります。
良いことの場合: 2回良いことがあったから、3回目もきっと良いことがある、と期待を込めて使われることもあります。

4.
きのうのテレビサイトから。
https://qjweb.jp/regular/48426/
2021年3月25日付。

(抜粋開始)
番組「プロフェッショナル」から。

・サンドウィッチマンに密着。「コンビの夢ってずっと解散しないことだと思うんですよ。ちゃんとコンビでいる意味を持つためにネタをやりつづけたい」という伊達。

・中川家・剛は「別に台本を読むとおもしろくないんですよ。でもサンドウィッチマンがやるとものすごくおもしろいんですよ。あれ、誰も真似できない。ということはサンドウィッチマンの人間力なんですよ。あんな裏表のない芸人は初めて」などと、芸人仲間が評する。

・3.11の東日本震災について「(現地に)いる人間と、いない人間の説得力、言葉の重みっていうのが違うと思う」「だからできる限り行くんですよ」という伊達の言葉は重かった。

・途中、伊達がポロッとこぼした「ずっと毎日が奇跡ですよ今、本当に」というひと言が胸に刺さった。

『人生最高レストラン』から、

・もし、ビートたけしが今、漫才をやるとしたら誰と組みたいかと問われ、サンドウィッチマン伊達と答えるたけし。「伊達がボケて、俺がツッコむ。そういうのやってみたいね」と。「サンドウィッチマンのボケとツッコミは、関東の漫才だったら完成形かもわかんないね。アレとナイツと。自分が若いころ目指してたのはアレだったなって感じはある」。
(抜粋終わり)

かたせ2号です。
さすが、伊達さんだけあって、
「サンド」がお笑い界のトップにいるのは、「伊達ではない」なあ。

5.
理解が深まるレビューサイトから。
記事名_小林秀雄の独創性に満ち溢れた、比喩と逆説を駆使した「無常という事」の中の優れた「徒然草」論
https://reviewne.jp/reviews/29939

(抜粋開始)
小林秀雄の作品には、「近代絵画」「様々なる意匠」「考えるヒント」などの数多くの優れた作品がありますが、今回、私が読了して、これぞまさしく小林秀雄の評論の神髄だと感じたのは、「無常という事」の中の「徒然草」に関する評論部分です。

『「徒然(つれづれ)なるままに、日ぐらし、すずりに向ひて、心にうつり行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」徒然草の名はこの有名な書き出しから、後人の思いついたものとするのが通説だが、どうもこの思いつきはうますぎたようである。兼好のにがい心が、洒落た名まえのうしろに隠れた。一片の洒落もずいぶんいろいろなものを隠す。一枚の木の葉も、月を隠すにたりるようなものか。今さら、名まえの事なぞいってもはじまらぬが、徒然草という文章を、遠近法をあやまらずにながめるのは、思いのほかの難事であるゆえんに留意するのはよいことだと思う。』

彼の文章は一読すると難解な言い廻しだなと感じますが、二読三読すると、実はまことに理路整然とした、きっちりと筋の通った、計算され尽くした文章であるのに気づきます。これこそが、まさしく世に名文と評価の高い、小林評論の神髄だなと思います。
(抜粋終わり)

6.
さいごに百人一首から。

「『奥山』に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ『秋』は悲しき」は
小倉百人一首の五番歌で、猿丸大夫(さるまるだゆう)の歌です。
意味は「人里離れた深い山で、散り積もった紅葉を踏み分けながら、雌鹿を求めて鳴く雄鹿の声を聞くとき、『秋』はとりわけ悲しい季節だとしみじみと感じられる」
という、『秋』の寂しさや物悲しさを表現した和歌です。
おそらく、日本列島のどこかで、たくさんの声がないている、そんな『秋』の悲しみの季節なのでしょう。

そもそも

『誠』というコトバが大好きな『奥山』さんが、かんたんな善悪の判断もわからない軽薄な人間だったって、「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ。ヘーゲルの歴史理論を使ってネオコン流の予言をした本の題名)に満天下に恥をさらしたから起きたことでしたよ。

7.
そういえば、歴史の終わりを翻訳したのは、天下の碩学、渡部昇一先生。
自己啓発系の本の多い、ミカサ書房から、出版されてました。
百人一首から引用

天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出(い)でし月かも

現代語訳 「天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が『昇』っている。あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。」

かたせ2号です。
ああ、たしかに、ミカサの山に「歴史の終わり」という本が、「昇」ったなあ、
でも、この和歌を詠(うた)いこんだ、遠い昔、奈良時代の「安倍」仲麿(あべのなかまろ)は、
赴任先である唐の国から、故郷の日本にカエルことは最後までできなかった。

そうして、同様に、
フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」という本も、
東漸するNATOがロシアを征服できず、ネオコン(=イスラエル第一主義者のアメリカ人たち)の予言がはずれて、その使命を終えることが、
ほぼ確定した。

そんなことがわかる今の時代は、まさに「歴史の終わり」を迎えつつある。あと15年かかりますが。

8.

悪いのは全部 君だと思ってた
「くるっているのは あんたなんだっ」て
つぶやかれても
ぼんやりと空を
眺めてまわしては、聞こえてないふり

世界の終わりは そこで待ってると
思い出したように 君は笑い出す
赤みのかかった月が昇るとき
それで最後だと 僕は聞かされる

ちょっとゆるやかに だいぶやわらかに
かなり確実に 違ってゆくだろう
崩れてゆくのが わかってたんだろ
どこか変だなと 思ってたんだろ

世界の終わりは そこで見てるよと
紅茶飲み干して 君は静かに待つ
パンを焼きながら 待ち焦がれてる
やってくる時を 待ち焦がれてる

世界の終わりは そこで待ってると
思い出したように 君は笑いだす
赤みのかかった 月が昇るとき
それで最後だと 僕は聞かされる

世界の終わりは そこで見てるよと
紅茶飲み干して 君は静かに待つ
パンを焼きながら 待ち焦がれてる
やってくる時を 待ち焦がれてる

以上。。。