天才・岡田英弘の孤独(2)
伊藤睦月です。最初にお断りを・・・全稿で「倭国」は「倭国の時代」の間違いです。両書は別個に存在します。失礼いたしました。
さて、議論の補助線として、2つ。
1,「聖徳太子存在問題」を指摘した岡田博士の立論の要素分解をすると、3つになります。
(1)「隋書倭国伝」と「日本書紀の記述」は矛盾する。
(2)両者が矛盾した場合、「隋書倭国伝」の記述を優先する。
(3)その結果、推古と聖徳太子の実在があやしくなった。
伊藤睦月です。(1)は、学会でも1960年代から指摘されてきた。
(2)は、岡田説のような考え方は「日本史を世界史の中で考える」という、西嶋定生以来、東洋史学会の共通認識だと思われます。(『古代東アジア世界と日本』)それに対し、日本史学会の考えは逆です。(1)は十分認識しながら、海外史料でなく、国内史料にとことんこだわって、(3)という結論にならないよう、「努力・工夫」を重ねてきたと考えられます。
(3)で、学会誌で「聖徳太子は実在しない」論を証拠付きで主張したのが、大山誠一氏です。この大山氏の動きが、日本史学会の学者たちにとって、いかに唐突だったか、前に紹介した「東大教授」の反論文を見れば、十分うかがえます。大山氏の「反乱」は1996年から、とされていますから、2004年に公刊された「日本史の誕生」を読んで、「聖徳太子非実在説」の着想を得た、という疑いを持つことは、可能です。しかし、果たしてその実証は可能でしょうか。実際大山氏は、学会主流から猛反発を受けながらも、史料証拠を指摘し続け、学会主流が懸念するほど、賛同者を増やし続け、教科書の表記を変えさせました。その点には正当な評価が与えられべきかと思います。なんだか日米特許論争みたいな話ですね。大山氏が「自白」すればよろしいでしょうが、それが無理である以上、「疑わしきは罰せず」で、納めるしかないのでは。これ以上追求すると、それこそ「誹謗中傷」といわれても、反論できなくなると思います。
そして、泉下の岡田先生も、そんなこだわりはお持ちではなかった、と思います。彼の「主敵」はあくまでも、西嶋定生をはじめとする「東洋史学会」だと考えています。
もう一つの補助線、それは『世界史の誕生』と『日本史の誕生』という2冊の小さな本が、その似通った題名と違って、岡田先生における、重要度が全然違う、という話です。『世界史の誕生』が「本命、本気、真面目」、『日本史の誕生』は「余暇、遊び、戯れ」、だった論、とでも言いましょうか。
以下、次回、伊藤睦月筆