唯物史観の原像[第四版]
1.
妻に勧められて、NHKスペシャル『ここまで来た!うつ病治療』の再放送を観た。(初回放送は、NHK総合、2月12日 午後9時)
その主な内容は、アメリカでは人体実験まがいの脳外科的うつ病治療法が既に臨床されているという話だった。
さすがアメリカはenterpriseの国である。The Philadelphia Experimentの国である。『効果がありそうな物は、とりあえず試してみろ。問題が出てきたら、その都度是正して行けば良い。そもそも、リスクを取らなければ何も始まらないではないか」と言うのがThe American way of lifeなのだろうか。
私は呆れて妻にいわく、「アンタはテレビで『これが効きます。これがinです。これがアカマル急上昇中ナンデス!』と聞けば、何にでもすぐ食い付くんだからなあ。『発掘!あるある大事典』のデータ捏造の時もそうだったし、野菜スープ健康法の時もそうだったじゃないか。」
妻が私に返していわく、「それじゃあアンタ、いったい何なら信用するの?」
私は少し考えて、下記の通り大演説会を開催した。
2.
私は自分自身の眼で見たもの、または自分の体で確かめたもの以外は信用しない。
頭の中で考え出したアイディアなりスキームなりも、とりあえず使ってはみるが100%信用はしない。経験の裏付けがない理論などというものは信を置くに値しないからだ。
そもそも、自分の頭の中から思い込みや見落とし、見過ごしを完全に排除できるほどの知性・理性の持ち主がそうそう居るとは思えない。
マルクスやレーニンだって完全無欠の神サマだった訳じゃない。その証拠に、社会主義のスキームは最後には経年劣化して機能不全に陥ったじゃないか(注)。
(注)レーニンはともかく、マルクスの経済理論はスミス、リカードらの古典経済学を継承・発展させたところに経済学説史上の意義があるのだから、今でもマルクスを反古扱いすべきではないという意見もあるようだが、これは卑怯未練な隠れ左翼(または左翼崩れ)の言い逃れだと私は考える。
ましてや十人並みの知性・理性の持ち主たちが、東日本大震災で、いざ「想定外」の事態に遭遇したらオロオロするばかりで対応が後手後手に回ってしまったのも、私にはヤムを得ないことのように思われる。知性・理性(または頭の回転の早さ)なんて、所詮はその程度のものだ。
3.
生きて行くには知性・理性だけでは足りない。生きる喜びを味わいたければ、知性・理性より感情(感受性または思いやり)の方が大事だし、何事か成し遂げたいなら意志の強弱(または折れないハートの有無)こそが問われる。
また、イザという時でも慌てず行動できるようになるには、知・情・意に加えて特殊な訓練とある程度の場数が必要だと思う。たとえばこんな具合に。
(引用、始め)
[原 文]ただ今がその時、その時がただ今なり。二つに合点しているゆえ、その時に間に合わず。(中略)かようにセリ詰めて見れば、日来の油断、今日の不覚悟、みな知るるかとなり。(『葉隠』、聞書第二、四七)
[奈良本辰也による現代語訳]いまというときがいざというときである。いざというときはいまである。そのいまと、いざというときとを二つに分けて考えているから、いざというときの間に合わない。(中略)このように、つきつめてみると、日ごろに油断があることも、平素から心の準備がととのっていないことも、すべて明らかになると言えよう。(『日本の名著17葉隠』p137-138、中央公論社、1969)
[原 文]勘定者はすくたるるものなり。子細は、勘定は損得の考するものなれば、常に損得の心絶えざるなり。死は損、生は得なれば、死ぬる事をすかぬ故、すくたるるものなり。また学問者は才知弁口にて、本体の臆病、欲心などを仕かくすものなり。人の見誤る所なり。(『葉隠』、聞書第一、一一二)
[奈良本辰也による現代語訳]勘定高い者は卑怯である。そのわけは、勘定は損得を考えることであるから、いつも損得の心が絶えないものだ。死は損、生は得であるから、当然死ぬことを好まない。だから卑怯な行いをするのである。また学問のある者は、才知や弁舌で生まれつきの臆病や欲心をうまく隠している。人々がよく見誤るところだ。(前掲書、p98)
(引用、終わり)
こんな物騒なことをいつも考えている奴がもしも隣にいたら鬱陶しくてタマらないだろう。
それに『葉隠』のことを理性否定の書と一般化するのも危険である(昭和戦前の軍国主義時代にはそういった解釈の方が主流だったようだが)。この本もまた、その時代が産んだ子だったのだ。
『葉隠』の口述者、山本常朝(1659~1719)の一生は江戸時代の前半期をほぼカバーしている。もはや合戦のない時代だから、武士と言っても寄食階級に過ぎなかった。戦国時代には手向かう百姓は皆殺しにするのが当然だったが、もうそんな時代でもなくなっていたのである。もちろん年貢を喜んで納める百姓など居よう筈もないから、武士は一旦ナメられたらオシマイという立場にあった(今でもおカミとはそうしたものだが)。
すなわち『葉隠』の説く武士道は「相手にナメられるな。いつも気を抜くな。誰からも恐れられるオトコであれ」という、今日で言えば暴力団か、さもなければヤカラ系・オラオラ系愚連隊並みにベタで泥臭い生活倫理だったのだ。
武士道は、明治に入って新渡戸稲造が外国人向けに美化して説明したような、洗練された道徳でも文化でもなかった。念のためにお断りしておく。
ただし、『葉隠』ほど極端ではないにしても、自衛官、消防官、警察官、そして海上保安官はこの種の訓練をある程度は受けていると思われる。佐藤秀峰のマンガ『海猿』(全12巻、1999~2001)およびその映画版(Part1;2004、Part2;2006、Part3;2008)を観て、あるいはそうなのかも知れないと思った。
電気技師だった私の父は、あの時、福島第一原発に居合わせた東電職員たちのことを「お話にならないほど勉強不足・訓練不足で、修羅場を潜った経験もロクスッポないガキども」と罵倒していたが、それは少々言い過ぎではなかろうか。
父は戦後日本の総合電気メーカーのPioneer Days に立ち会った世代なのである。このため、かなり荒っぽいこともやってきたようだ。仕事の選り好みをする余裕もなかったと聞く。
片や不肖の息子はまったくの温室育ちで、模擬試験の偏差値と相談して機械的に進路を決めればそれで事足りた世代に属している。そういった甘チャン世代の一人として見れば、あの東電職員たちはアレでも良くやった方だと私には思えるのだが。
4.
閑話休題。マルクス・レーニンや『葉隠』、福島第一原発の件は別にしても、人類の知性・理性には一定の限界、または、そこから先は人類の認識力では手が届かない壁みたいなものがあると私は思う。スタニスワフ・レムのSF小説(または哲学小説)『ソラリスの陽のもとに』を三度読み返して、私はそう思うに至った。
少々脱線するが、レムおよび『ソラリス』について以下に述べる。
スタニスワフ・レムはポーランドの小説家である(1921~2006)。ポーランド「解放」直後には新社会建設の理想と使命感に燃えた医学生だったが、ルイセンコ騒動で嫌気が差してしまい、以後は社会主義と距離を置くようになったそうである。
『ソラリス』(1961)の粗筋は以下の通りである。
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宇宙の果てにソラリスという、なんだか良く分からないフシギ惑星があった。ソラリスは陸地が全くない海だけの星なのだが、この海がまるで生き物のような謎めいた挙動をする。人類の長年に渉る研究も遂にソラリスの謎を解明できないまま煮詰まってしまい、研究者用の宇宙ステーションもさびれる一方であった。つまり人類の知性・理性は、ソラリスの謎に半ば根負けしていたのである。
ところが、この宇宙ステーションで思わぬ怪現象が発生した。乗組員たちの記憶にある忘れ得ぬ人々が、ニュートリノ製の複製品となって続々と化けて出たのである。
主人公・ケルビンの所には、痴話ゲンカがこじれて自殺したカミサンが化けて出た。ところがこの複製品、どういう訳か過去の記憶のうちヤバイ部分だけスッポリと抜け落ちていた。それはそれで好都合と言えなくもないが、テキもそのうち「どうもヘンだ」と気づき始める。「ハテ、どうしたもンか」と、ケルビン君はとうとう頭を抱えて込んでしまいましたとさ。
ウジウジと悩むダンナを不憫に思ったカミサンは、とうとう姿を消す。人類はソラリスの謎に負けたのだ。ケルビン君もシッポを巻いて宇宙ステーションから立ち退くことにした。彼が最後に吐いた負け惜しみが以下である。
「しかし、私の中ではまだある期待が生きていた。それは彼女の後に残された、ただ一つのものだ。私はこの上まだどんな期待の成就、どんな嘲笑、どんな苦しみを待ち受けていたのだろうか?何もわからなかった。それでも、残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ。」(沼野充義訳書、p345)
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ケルビン君は何を待っていたと言うのか?そしてレムは?
私も本書を繰り返し読んだ頃には何かを待っていたが、それが何だったのかさえ、もう忘れてしまった。
なお、私が三度読み返した『ソラリス』は飯田規和訳によるハヤカワ文庫版(1977年)である。これはロシア語訳からの重訳らしく、検閲に起因したと思われる脱落箇所もあるそうだ。沼野充義による完訳版(国書刊行会、2004年)も手元にあるが、未だ通読する機会を得ない。
レムおよび『ソラリス』については以上である。
繰り返しになるが、人類の知性・理性には一定の限界、または、そこから先は人類の認識力では手が届かない壁みたいなものがあると私は思う。
だから私は、見て来たようなことを口にするヤカラ、人前で、さもモットモらしげなことをホザくヤカラを絶対信用しない。
なにを隠そうこのオレはデンマークの王子ハムレット、じゃなかった、学生時代に共産主義にイッパイ喰わされたマヌケだぞ。
悔い改めてマトモ(と見えた)会社に就職したら、今度は人事部のイヌどもやら、おエライさんやら、日本経済新聞やらにまんまとしてやられたぞ。お仕えしていた首領さま(みたいな奴だった)が「悪いようにはしないから」とおっしゃったのでウカウカ信用したら、結局悪いようにされてしまったぞ。
おかげで今では、真摯な宗教家や誠実そうな専門職(医者、弁護士、公認会計士、学校教師、カウンセラー等)の言うことすら100%信用する気になれない。そうすることに強い抵抗感がある。ジンマシンが出そうになる。
5.
ただし、「生兵法は怪我のモト」と言う。当てズッポウな素人判断に頼るくらいなら、プロに任せた方がリスクは低いことも分かっている。
だから私は、プロに仕事を依頼する時は、ただ一つの賭け目に有り金を全部ベットする積もりで身を任せる。バクチのプロでもない者が、リスク分散などと小賢しい事を考えたら却って全てを失うのがオチだ。セッパ詰まれば清水の舞台からでも飛び降りるしかない。答えはルーレットだけが知っている。
実は私は小児期には虚弱体質で、季節の変わり目には病気ばかりしていた。友には喘息持ちで、ムシ饅頭みたいな色の顔をした奴もいた。腎臓をやられた奴も同じような顔色になる。小児白血病で死んだ奴の噂もよく耳にした。
あるレベル以上の難病に罹患したら、助かるかどうかは運次第だ。たまたま腕の良い医者に当たるかどうかも運次第だ。それに、名医といえども誤診は必ずある。ブラック・ジャックにだってある。医者の誤診でこちらが一巻のオワリになるかどうかも運次第だ。
もはやお医者さまに頼るしかこちらの選択肢がない以上、そうやって割り切るしかないだろう。お医者さまには「どうかベストを尽くして下さい」以上のことを期待すべきではないだろう。
死ぬのは私なのだ。死んでしまった後でお医者さまを告訴したところで、既に死んでいる私には面白くも何ともない。死んだら花実は咲かない。どんな人間でも、持って生まれた運の量(または星、sign)は変えようがないのである。
ヘーゲルは「現実的なものは合理的であり、合理的なものは現実的である」とぬかしたが、現実は時に不合理なこともあり、不合理な現実に直面しなければならないこともある。
もちろん、「オマエはもう死ぬんだ」と告知された当人にはとても納得の行く話ではなかろうが、人の生き死になどというものは、詰まる所はただの偶発事、アクシデントに過ぎないのである。頭の中でグチャグチャ考えても、不合理な現実の前には屁のツッパリにもならないのである。
昔、私が未だヒヨッコだった頃、総務のオッサンが会社の対応に憤っていたのを思い出す。突然死した従業員への配慮が足りないと言って怒っていたのである。
オッサンいわく、「人の生き死ににチャンと対応できない会社というのは、オレはダメな会社だと思う。」
6.
かてて加えて私の人間嫌い・人間不信を決定付けたのが我が両親である。
二人とも口を開けばゴモットモなことを言うが、やることは只のマキャベリストだった(今でもそうだが)。ズル賢くて無慈悲で暴力も辞さないところは、まるでインテリヤクザと同居しているようだった。
結局、言い分なんてものは誰にだってある。北朝鮮の労働党にだってあるのだ。
だから、強権に翻弄されたくなければ、相手が口にしたことではなく実際にやったことで判断し、ズル賢く執念深く、時に大胆に対抗すべきだ。
「好かれて死ぬのと、嫌われて生きるのと、どちらか一方を選ぶなら、生きる方を選べ。」(イスラエルの諺)
7.
以上に述べた通り、(1)人類の知性・理性には一定の限界があること[オレ流・不可知論]、(2)現実的なものは必ずしも合理的であるとは限らず、偶発的な要素を排除できないこと[オレ流・運命論]、(3)誰だって我が身が可愛いから、自己正当化の屁理屈はどうにでも付けられること[オレ流・パワー・ポリティクス理論]、以上3点を根拠として、私は自分自身の眼で見たもの、または自分の体で確かめたもの以外は信用しない。
実は今でも先験的なもの、超越的なものへの憧れがないではないが、もう二度とソッチ方面には行きたくないのである。一度目(共産主義)は若気の至りで笑って済ますこともできたが、二度同じことをしでかしたら学習能力のまったくない、タダのバカ者である。
我が眼を通して記憶に焼き付けたこと。この体で直接受け止めた快感または苦痛。これだけが私の真実なのだ。
8.
なお、喜怒哀楽は「真実」の内に含めない。それらのものは気の持ちよう一つでどうにでもなるからだ。喜怒哀楽に振り回されて終わる人生は賢明とは言えず、また得策でもないと思う。
ルネサンス時代のイタリアにマントヴァという小国があった。その女領主イザベッラ・デステ(1474~1539)の座右銘は「夢もなく、怖れもなく/Nec spe nec metu」だったと言う。徹底したリアリストだったのだ。
20年ほど前、丘の上で陽がカゲって行くのをバカみたいに眺めながら、私はこう考えた。
私の場合、「夢もなく、怖れもなく」という座右銘を「思い上りもなく、自己憐憫もなく」と読み換えると、より実践的・建設的なのではなかろうか。さしたる理由も無いのに私がしばしば尊大になったり、かと思うと卑屈になったりするのは、思い上りと自己憐憫がそうさせるに違いないからだ。
どちらにも現実的な根拠はない。おまけに、思い上りは判断力のバランスを失わせ、自己憐憫は思い切った行動を先延ばしにさせる。つまり、どちらも時間の無駄だ。
9.
とは言ったものの、器官または身体を媒介として外部から入ってきた「真実」と、私の頭の中でコシラえた幻像に過ぎない「「真実」」との間に、明確な境界線があるようにも思えない。結局、スパリとは割り切れないのである。
何だか私が先に書いた駄文「世界認識の方法」でほざいたことに、ぐるっと一回りして帰って来たような気もするが、今度は私の器官または身体に着目した分だけ、前文より多少は前進したと言えようか。
我が唯物論の基礎はこの器官ある身体である。私にはそれ以外に自立の思想的拠点はない。だからこそ生きてるうちがハナ、死んだらソレマデなのである。
(以 上)