レイク:旧唐書より、新唐書推し、なのはどうやら私だけらしい。
伊藤睦月です。軽めのネタをひとつ。
(1)現在、学会、歴史マニア問わず、「唐書」といえば、圧倒的に旧唐書、ということらしい。通説、少数説問わず、論文や一般書でも、旧唐書はよく引用されるが、新唐書は出てこない。残念なことだと思う。
(2)現在では、新旧両方とも、中国正史(24史)に入っているが、実は旧唐書は、18世紀まで「正史」ではなっかった。「野史」「稗史」(はいし)といって、「正史」の記述を補完する、あるいは「三国志演義」や「水滸伝」のような、虚実織り交ぜた物語扱いだった。
(3)それが、18世紀、清の乾隆帝という、清朝全盛期の皇帝によって、正史に追加され、「四庫全書」に加えられ、木版印刷で、一般にも頒布されるようになった。日本でいえば、8代将軍、徳川吉宗が引退したころだ。蘭書や漢書の輸入が緩和されたころで、そのころに、日本に入ってきた、と私はにらんでいる。
ちなみに、国学、水戸学、蘭学が盛んになりだしたのはこのころで、塙保己一「群書類従」も、結局は「四庫全書」の完成、日本への輸入の影響が大だったのではないか。
(4)中国正史のなかで、新旧があるのは、唐書だけだ。そこで、両書の成り立ちを紹介する。
(5)まず、旧唐書。946年成立。五代後晋の時代。唐帝国が滅亡したのが、907年。唐を滅ぼした朱全忠が建国した「後梁」、その次が「後唐」(923年建国)、その後唐を、936年に石敬唐(せきけいとう)という人物が、滅ぼして、「後晋」を建国した。ちなみに「五代」とは、後に北宋帝国の首都となった、開封とその周辺を拠点に興亡した軍閥政権のことで、後梁、後唐、後晋、後漢、後周、の5つの王朝のこと。私が、高校生の時は、「週刊晋唐本日完了」と覚えた(どうでもよいが)。開封は、いわゆる「中原」のど真ん中にあって、内陸水運、物産集積の要衝で、江戸時代の大阪や中世のシャンパーニュ地方のようなイメージ。北宋は軍事よりも、経済を重視して、開封に居座って、税関を設け、その税収で北宋帝国を維持した。また、開封以外の、要衝の地を拠点にした地方軍閥たちを「十国」といい、二つ合わせて「五代十国」という。最近の、世界史B(?)の教科書では、ここまで書かれていないことが多いので、トレビアを紹介した。
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以上伊藤睦月筆