ブレイク:旧唐書より、新唐書推し、なのはどうやら私だけらしい。(2)

伊藤 投稿日:2024/12/25 10:35

伊藤睦月です。続けます。

後唐の石敬塘、この男が問題だ。いろいろやらかした。

(1)石敬塘は、後唐の傭兵隊長だったが、後唐の皇帝と対立し、契丹の支援を得て、後唐を滅ぼして、後晋を建国した(936年)ここまではよくある話。

(2)石敬塘は、契丹帝国に対し、支援の見返りとして、「燕雲十六州」を割譲、正式な領土として、契丹帝国に譲渡した。これが大問題。

(3)燕雲十六州は、万里の長城の南側にある、いわば、中国固有の領土。これまで、長城の北側にしか領土をもっていなかった(事実上の占拠はあった)、野蛮国がついに中国に領土を持つ国になった、ということは、将来「禅譲」を受け、正式な中国王朝になる可能性が出てきた、ということだ。これは、一大事。契丹は中国国内に領土を持ったことで、国号を「遼(りょう)」と改めた。さあ、大変なことになった。

(4)この「燕雲十六州問題」は「中国版レコンキスタ(失地回復運動)」として、後の北宋、南宋帝国のトラウマ、となった。「水滸伝」も失地回復物語のスピンオフ作品である。レコンキスタはスペインでは成功したが、中国では大失敗した。

(5)北宋は失地回復を焦って、遼よりもっと凶暴な、「女真(金)」と同盟し、遼を滅ぼしたが、失地回復に失敗して、金に滅ぼされた。(靖難の変1126年)

(6)残存政権の南宋帝国も、今度はモンゴル帝国と同盟し、金を滅ぼしたが、南宋もまたモンゴル(元)帝国に滅ぼされた。(1279年)

(7)この失地回復運動の理論的根拠を与えたのが、南宋の朱熹が創始した「朱子学」である。だから朱子学は本来、戦闘的な政治思想である。後世の陽明学も朱子学からの派生形。本物の政治思想だから、これに殉じる人も中国や日本で大勢でてきた。朝鮮の状況はよく知らない。この石敬塘という、10世紀のオッサンのやらかしが、中国のみならず、東アジア、特に我が国にまで深刻な影響を与えている。そして今も、我々は「朱子学の呪い」に拘束されている。北方領土問題や尖閣問題も、根っこはここじゃないのか。

寄り道が過ぎた。小休止。

伊藤睦月筆