お礼_伊藤睦月さんへ。
伊藤睦月さんへ。
かたせ2号です。
多数の投稿ありがとうございます。刺激になります。
1.
ワタシが権利放棄した「本能寺の変の真実のフォーマット」は、煎じ詰めて説明すると、下掲の投稿で紹介済の3冊の書籍に記載の内容に、以下の2つの命題を付け加えただけです。なので、自分のオリジナルだ、などと、強く主張する気にもなれないわけです。
(1) 本能寺の変の直前まで、信長が朝廷に暦を改めるのをしつこく要請したのは、
「信長の墓穴を掘るために、イエズスが信長に命じて、信長自身にやらせたこと」。
(2) 本能寺の変後の、秀吉の「デウスの恩寵による」神速の動きは、秀吉を介してのイエズス会と毛利家との「権力者共同謀議」。
すなわち、秀吉が中国攻めを独断で中止し和睦(毛利家はすぐさま応じる)⇒中国大返し(毛利家は追撃を一切しない)⇒山崎の合戦(秀吉方の軍勢の先鋒で高山右近が戦う)
ですので、以上の内容は、どなたが使って表現いただいてもかまいません。
そもそも、歴史の真実に著作権者という者はいません。歴史の真実は模倣されるためにあります。真実は多くの人びとのためにあります。それを大いに多くのみなさんに使っていただいて結構なのです(強気やなああ 笑い)。
2.
高坂正堯が、松下政経塾入りを勧めたゼミ門下生は、おそらく、前原誠司だけだと思います。
ワタシは前原誠司のことが昔から大嫌いですが、そのキャリア形成において可哀想な面も、あったかなと推察しています。前原誠司は、松下政経塾8期生です。
というわけで、以下の英文は、単なるゲスの勘ぐりなので、エンタメ案件の扱いでOKですが、
Maehara is a “dedication” from Kosaka to Matsushita.
前原誠司インタビュー記事から。
http://www.maehara21.com/kiji/kiji25.html
(引用開始)
◆政治家の本棚――71 運命の高坂正堯『国際政治』との出会い 2/2
―――前原誠司という政治家のまさに骨格のところだ。京大を卒業してこんどは松下政経塾へ行く。なぜですか。
前原:将来は大学に残るか外交官か,もう一つは漠然と政治家にと。高坂先生は,学者は天才でなければならない,外交官は東大が羽振りをきかせていたのでどうか,おまえはおやじがいないからどうかと。それで「山田を紹介してやるから」と。いま杉並区長をしている山田宏さん,高坂ゼミから松下政経塾に行った先輩なんです。
(引用終わり)
かたせ2号です。
山田宏のサイトから。
結局、前原に(のみ)松下政経塾入りを強く勧めた高坂の真意は何だったのでしょう?
ちなみに、前原誠司は松下政経塾8期生、山田宏は2期生です。
https://www.yamadahiroshi.com/pickup03.html
(引用開始)
(山田宏は)親に内緒で(松下政経塾への)願書を出した。一次、二次試験を通り、最終の面接試験を迎える前、塾側から、ゼミの教官の推薦状をもらってくるように、との通達を受けていた。山田は躊躇した。なぜなら、ゼミの教官・高坂正堯は松下政経塾の理事でもあったからだ。理事に便宜を図ってもらって試験に有利にするような真似はしたくなかったのだ。
やむなく高坂に事の成り行きを説明し、推薦状をいただきたいと言った。喜んで書いてくれると思っていたのだが、答えは案に相違して「やめとけ」だった。「五年間そこで学んでも食いはぐれるだけや。京大を出てもムダになるだけ。愛するゼミ生をそんな目に遭わせたくない」。
それでも、山田は食い下がった。自分がやりたい道はこれだ、と確信があったからだ。
結果的に高坂は五年の間に会計士の資格を取るということを条件に推薦状を書いてくれた。設立間もない松下政経塾は、当の理事からさえ「海のものとも山のものともわからない」という程度にしか思われていなかったのだろう。
(引用終わり)
以上