【579】お正月らしい投稿を発見した(2025年1月4日について、かたせ2号さん、今年も快調そうですね。
伊藤睦月です。かたせ2号さん、お元気そうで何よりです。今年もよろしくお願いします。
さて、あさま山荘の事件の時は、私は中学2年でしたが、当時プラモデルつくりに夢中で、テレビは終日つけていましたが、それほど関心もなかった。ただ、異様な雰囲気は感じており、大きな鉄球が建物を壊していく様には、さすがに見入ってしまいましたなあ。
連合赤軍について書かれた本は、佐藤優と池上彰の対談本を読みましたが、むつかしく感じました。セクト間の関係がよくわからない。そこで、いつか読んでみたいと思うのは、『レッド1969-1972』(山本直樹)というマンガです。結局、読書談義かよ。ですが、ここで思い出したことを一つ。私の職場の上司から、酒席で一度だけ聞いた話。
(1)その上司は、私より、ほぼ一回り上。いわゆる、「団塊の世代」「全共闘世代」です。
(2)東大安田講堂事件(1969年1月)の時、その上司は都内私大の、ゼンガクレンの委員長(本人談)で、学長室を占拠し、そこの電話を使って、連絡を取り合っていたそうです。安田講堂事件の時、東大にだけ立てこもったのではなく、都内の大学の多くで学生たちが暴れていました。
(3)テレビで、安田講堂が陥落する前に、どこからか電話連絡が入り、その上司は直ちに大学を脱出、横浜国立大学の学生寮に数日潜んでいたそうです。
(4)その学生寮で同室だったのが、「坂口弘」、あさま山荘事件の首謀者の一人で、確定死刑囚です。もう執行されたかどうかは、知りません。
(5)坂口と上司が、その夜、何を話したのか、上司は話しませんでした。翌朝、二人は学生寮を出て、坂口は北へ。上司は西へと向かい、それきり、でした。坂口は、ほかの仲間と合流し、リンチ殺人事件とあさま山荘事件を引き起こしました。
(6)上司は、各地の工事現場で働きながら、故郷にたどり着き、地方公務員になりました。
(7)当時、県庁や市役所は、身辺調査をしていませんでした。警察と外務省はしていたようです。当時の外務省試験(国家公務員試験とは別に実施していた)の募集要項には、「2次試験合格者には身辺調査をします」と書いてあった時代です。上場企業は普通にやっていたようです。「三菱樹脂事件」という憲法訴訟もありました。
(8)今でも企業の身辺調査、やられているんじゃないかな。反社関係者の排除もあるし、ただそのやり方は巧妙になっている、と思います。
(9)当時、地方の役所は、逮捕歴さえなければ、試験の成績で入れました。今と違い面接重視ではありませんでした。政治家のコネを使ったのかもしれません。もともと高学歴で頭もよい人たちでしたし、学生運動の活動歴のある者は、かえってリーダーシップがあってよい、という人すらいました。体育会系のノリですね。逮捕されないという、要領の良さも大事です。こういう人たちは、結構出世していましたよ。民間の人たちからも、「さばけた役人」と評判の良い人が多かった印象です。世間話も上手で社交的な人が多かった印象です。私の上司もそこそこ出世して、無事定年を迎えて退職していきました。それから、お互い没交渉です。ご存命であれば、後期高齢者です。
(10)私にその話を一度だけ話してくれた上司は、ヘビースモーカー、ヘビードリンカーで、今なら確実に依存症です。この時もべろべろに酔っぱらっていました。カラオケマイクを握ったときは、「風に吹かれて」という英語の歌しか歌いませんでした。べろべろのくせに音程は外れていなかった。仕事中に時折見せた、「潔癖な正義感」と「わざとらしい卑屈さ」が妙に懐かしい。
お正月になると、余計なことを思い出しますね。すぐ忘れてしまう。今度思い出すのはいつだろう。どうでもよい
けど。
以上、伊藤睦月筆