菅直人 民主党 元首相は、もっと高く評価されるべきひとである。(全5回、4回目)「あのGHQとこのGHQ」

かたせ2号 投稿日:2024/04/30 09:48

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【2011年3月】14日夕、北川俊美【=北澤俊美】防衛相から直接、「極秘命令」を受けた統合幕僚長の栗田洋一は、防衛省地下3階に向けてエレベーターを降りていた。特別なICカードと顔認証の二重チェックをパスしなければ、たとえ防衛省の人間でも、大臣すら入ることはできない。日本人の税金で作られた国の建物でありながら、実際に、そこに入ることができる日本人は、自衛隊制服組のトップである統合幕僚長と陸海空自衛隊の各幕僚長の合計4人だけだ。

 防衛省の地下二階は、核攻撃にも耐えるシェルターになっている。わが国周辺だけでなくペルシャ湾までのシーレーンまで映す巨大なモニターにイージス艦などの現在地が常時映し出される中央指揮所がある。北朝鮮のノドンミサイルへの対処などは、ここで行われている。

 さらにその下の地下深くにある地下三階は、いわば二重のシェルター構造で.いかなる核攻撃にも耐えるように作られている。そこは、日本であって日本ではない。米本土からの郵便物が「国内郵便」で届く場所。文字通り日本の中のカリフォルニアなのだ。しかも、国が国会に対して配った資料には、地下三階には健康センター(ジムなど)があるという偽装までされている。秘密の施設である。

 栗田は、地下三階に着くと、真っすぐに在日米軍総司令官の部屋を訪ねた。急な訪問だったが、先に連絡を入れていたため、在日米軍のハートマン総司令官は、いつものようにハグで栗田を迎えた。

 「今、陸海空軍の司令官も呼んでいるから、紅茶でも飲んで少し待っていてくれないか?」

 「いえ、急にお願いを聞いてもらうのですから。このままこちらで待たせてもらいます」

栗田は、改めて室内を見回し、マッカーサー元連合国軍総司令部(GHQ)総司令官の写真が飾られているのに目を止めた。

 「折角時間があるので、前から聞きたかった質問をしてもいいですか?」

 「いいよ。何でも聞いてくれ」

 「ここは、在日米軍の総指令部でGHQと呼ばれていますが、このGHQとあのGHQは、どういう関係なんですか?」

栗田は、マッカーサーの写真を指差しながら、恐る恐る聞いた。

「いい質問だね」

ハートマン総司令官は、少し悪戯っぽく笑って言った。

「敗戦後、パイプを咥えたマッカーサー元帥とともにGHQが日本にやってきたニュースは知っているね」

 「ええ、有名な写真が残っていますから」

 「では、あのGHQが日本が独立したときに、出て行ったというニュースは、聞いたことがあるかい?」

 「いいえ。マッカーサーが解任されて帰国したというニュースは見たことがありますが、GHQが日本を出て行ったというニュースは、見た覚えがありません」

 「サンフランシスコ条約が米国内で批准されて発効する時に、国内の関連法も改正された。そして連合国軍総司令部(GHQ)は、在日米軍総司令部(GHQ)と読み替えることになった。つまり、あのGHQは、このGHQなんだ。だから、あのGHQの二代目総司令官リッジウェイ元帥が、このGHQの初代総司令官でもあるんだ」

 ハートマンは、マッカーサーの隣に掲げられたリッジウェイの写真を指して茶目っ気たっぷりな口調で話した。どっきり作戦成功というプラカードでも持ち出しそうなくらいに。

 栗田は、少し眩暈がした。あかん、これは緘口令をしかないといけないやつや・・・。

【2011年】3月14日の午後、福島第一原発の免震棟は、野戦病院の様相を呈していた。3号機の爆発で自動車に放射性飛散物が直撃したりしたため、現場にいた所員7人が負傷していた。吉田所長をはじめ三日間ほぼ不眠不休の状態で疲弊しきった所員が大半だった。

 たびたびベントを繰り返した3号機は、SR弁を開きっぱなしにしていた。それでも原子炉の内圧は下がらず、メルトダウン状態にあると想定されていたが、モニタリングポストで観測される放射能値が高すぎて防護服を着ても近づけないような状態だった。

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【2011年3月】14日夜、【福島第一原発の】吉田【所長】は覚悟を決めて、所員を集めて淡々と語り掛けた。

 「ことここに至っては、やれることは少ない。俺は残るが、俺と一緒に残れる奴だけ残ってくれればいい。家族がいるものは、一度家に帰れ。俺がそれを恨むことはないから」

 十数人が前に出て残留を志願したが、大半は頭を垂れ押し黙ったままだった。

 「皆の気持ちはわかった」

 吉田は、東電本社とのホットラインをとると、おもむろに話し始めた。

 「社長に伝えてほしい。現場が危険な状態なので、希望者を撤退させてくれと」

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 首相官邸の執務室で仮眠をとっていた菅原首相を江田官房長官が叩き起こしたのは、【2011年3月】15日午前3時40分ごろだった。

 「東電の社長【=清水正孝】が福島第一原発から撤退したいと言ってきました」

 「なに! 撤退などありえない。東日本が吹っ飛ぶことになるぞ。何を考えているんだ。すぐに社長を官邸に呼べ」

 短気な菅原は、寝起きにもかかわらず、すぐに沸点に達していた。午前3時に空江田経産相に撤退を申し入れた東電社長は、主務大臣に断られ、江田官房長官に相談したところ、すぐに官邸に「出頭」するように命じられたわけだ。

 午前4時17分、首相官邸の執務室に入った東電社長は、菅原の怒鳴り声に迎えられた。

 「撤退は認められない。そんなことをしたら福島第一はコントロールを失って、福島第二を巻き込んで取り返しのつかないことになる。最悪、東日本が吹っ飛ぶ。さっき、保安院も認めたんだ」

 「それでも、私には社員の命を守る責任があります」

 菅原の怒気に怖気づきながらも東電社長は、意思を曲げなかった。

 「俺には国土と国民の命を守る責任がある。命令を聞かないなら電力会社の社長をクビにする権限もある。撤退は認めない。責任は俺がとる」

 菅原の言葉は、裁判官の判決言い渡しに等しかった。交渉の余地など最初からなかったのだと、この時、東電社長は思い知った。

 逆に、不服そうな様子を隠さない東電社長に、菅原は疑心暗鬼を深めていた。これは、監視を付ける必要があるな、と菅原は心の中で呟いていた。

 午前5時26分、執務室を出た菅原は、通信社の首相番記者に一方的にまくしたてた。

 「これから東電本社に行く。政府と東電の合同対策本部を設置しに」

 早朝で番記者は通信社とNHKしかいなかったが、すぐにニュースとして流された。