私説:日本書紀、古事記の正体(6)まず、傍系皇族と有力豪族を排除する。(その2)

伊藤 投稿日:2024/12/29 20:33

伊藤睦月です。

 (1)舒明直系の天智、天武にとって、当面の標的は、蘇我氏である。蘇我氏は、雄略大王のころから、大和国の財政や財産を管理していたというから、先祖は華僑の大商人であろう。諸史料からは、渡来人由来とはされていないが、それだけ古くから、大和のアマ氏に仕えていたものと思われる。文官として、秦氏や、東文氏、西文氏、武官として、東漢氏などを部下にしていたことからも、華僑系だと思う。読み書き計算のできない(得意でない)、武力一辺倒の原住民系の豪族(物部氏など)ではない。華僑の系列は、親百済派か親新羅派かは、はっきりしないが、伝統的に親百済派の豪族が多い中、聖徳太子に代表されるような人物が多く、仏教移入に積極的な進歩派、「新しもの好き」な一族。

(2)私、伊藤は、いわゆる、「聖徳太子は、実在したが、タシリヒコは、倭国のアマ氏の大王だ」と考えている。(同旨古田武彦)。1990年後半から、大山誠一氏を中心に「聖徳太子は実在しない。タシリヒコ=蘇我馬子」説が学会内で有力になり、高校教科書の記述にまで影響が出ているが、いわゆる、学会通説と同じく、倭国のアマ氏の存在を認めない、としている点で、違和感を持っている。(詳しくは後述する)

(3)蘇我氏は、継体大王の即位後にその影響力を増してきて、大和のアマ氏をしのぐ勢いとなった。お金を持ってる奴は強い。高校教科書にも書かれているが、当時の大和国は、有力豪族の連合体で、アマ氏の優越権はなかったから、蘇我氏が大王であった可能性は高い。隋書の記述とも整合しそうだ。そうなると、用明、推古、崇峻、聖徳太子、みんな実在しないことになる(大山誠一氏)が、まだ、賛否を決めかねている。彼らが実在しない、となると、物部氏との「仏教戦争」も本当にあったのか、再考が必要になる。

 (4)とにかく、645年に、天智、藤原鎌足(余豊璋と同一人物説:同旨関裕二氏)のコンビが、「蘇我入鹿」を暗殺し、その後、傍系の古人皇子を殺し、孝徳大王をネグレクトして憤死させ、その息子の有間皇子を謀反のぬれぎぬをかけて殺した。傍系だが、実母の皇極=斉明大王は、殺しはしなかったが、九州の朝倉宮で軟禁状態にして、死なせた。(白村江の戦争指揮なら、博多湾沿岸部の香椎宮の方が便利なはずだが・・・)そうして、直系の兄弟だけが残った。決勝戦は近い。