私説:日本書紀、古事記の正体(5)まず、傍系皇族と有力豪族を排除する。(その1)

伊藤 投稿日:2024/12/29 10:29

伊藤睦月です。

(1)大和国の王権は、(以下、「大和のアマ氏」と呼ぶ。従来の北部九州に存在した、奴国、邪馬台国の後継王を「倭国のアマ氏」と呼ぶ。「休氏」とする説もあるが、ここでは、中国正史に採用された「阿毎(あま)」氏とする。なお、九州天皇家、近畿天皇家、という古田武彦流の呼び方もあるが、天皇は天智天皇以降の呼称とする、副島隆彦説を採用する。それ以前は大王・おおきみとする)は継体大王の子孫の時代である。日本書紀では、この時代の記述が、で最重要である。

(2)継体大王には、安閑、宣化、欽明、の3人が大王となっていたが、欽明の血統が大王位を引き継いだ。欽明が継体の「直系」となった。欽明から見て、他の2人の血統は「傍系」となる。

(3)欽明大王には、敏達、用明、推古、崇峻、の大王がいたが、欽明の血統、舒明が「直系」となった、舒明の「直系」が、天智と天武だ。この2人が、継体の「直系」だ。現天皇家は、この継体大王の「直系」の子孫になる。天智と天武のどちらが年上かとか、血のつながりが温かかどうかは関係ない。舒明大王の「直系」と認定されたことが、それだけが重要なのだ。

(4)だから、大王位の争いは、誰が直系となるか、という争いだ。例えば、用明大王の子(聖徳太子)や孫(山背王)が大王になれば、彼らの血統が「直系」となり、他の血統は「傍系」になる。大王には直系のみがなれる。というか、大王になった者こそ「直系」になる。現在のいわゆる「皇位継承問題」にもつながる問題だ。そして、現代のように「平和的な解決方法」は、当時にはない。だから、どうしても、血生臭い話になる。殺し合いになる。

(5)そして、もう一つ厄介な存在がある。有力豪族だ。この取り扱いもめんどくさい。

小休止:以上、伊藤睦月筆