無関係な話題を2つ並べておく
件名_無関係な話題を2つ並べておく
かたせ2号です。
本日は、2025年7月6日(日)です。
まずは前置き。
鹿児島県の沖合の島々だけでなく、霧島岳周辺もあやしくなってきました。
鹿児島県霧島市のサイトから。
https://www.city-kirishima.jp/anshin/ooame-musen.html
(引用開始)
新燃岳噴火に関する防災行政無線放送
最新情報は、下をクリックし確認してください。
霧島山(新燃岳)の火山活動に関する情報
放送内容
令和7年7月4日(金曜日)6時45分放送
新燃岳の噴火により、降灰が継続しています。
視界が悪い地域では、通行に十分ご注意ください。
なお、火口から風下の地域では、今後も降灰の影響が考えられますので、火山に関するお知らせ、テレビ・ラジオの報道に注意してください。
令和7年7月3日(木曜日)15時08分放送
環境衛生課からお知らせします。
新燃岳の噴火により、一部の地域では、多量の降灰が確認されています。
火山灰の処分にお困りの方には、無料で集灰袋を配布しています。
ご希望の方は、本庁環境衛生課、隼人市民福祉課又は各総合支所市民生活課までお越しください。
なお、集灰袋で集めた火山灰は、燃えないごみの収集日に、所定のごみ収集所に出すことができます。
令和7年7月3日(木曜日)14時43分放送
本日、7月3日13時49分に発生した新燃岳の噴火による、噴煙は5000mまで上がりました。今後、火口から風下の範囲では多量の降灰や、小さな噴石が風に流されて降るおそれがあります。多量の降灰が予想される範囲内では、不要な外出や車の運転を控えてください。
今後の火山に関するお知らせ、テレビ、ラジオの報道に注意してください。
令和7年7月3日(木曜日)06時47分放送
7月2日の夜に観測した新燃岳の噴火により、降灰が継続しています。
視界が悪い地域では、通行に十分ご注意ください。
なお、火口から風下の地域では、今後も降灰の影響が考えられますので、火山に関するお知らせ、テレビ・ラジオの報道に注意してください。
令和7年7月2日(水曜日)15時30分放送
本日7月2日に観測した新燃岳の噴火により、降灰が発生しています。
視界が悪い地域では、通行に十分ご注意ください。
なお、火口から風下の地域では、今後も降灰の影響が考えられますので、火山に関するお知らせ、テレビ・ラジオの報道に注意してください。
令和7年6月23日(月曜日)19時09分放送
6月23日午後6時30分に噴火警報が霧島山(新燃岳)に発表され、噴火警戒レベル3(入山規制)に引上げられました。
これにより、火口から約3km圏に入山規制がかかります。
規制範囲内にいる登山者・観光客等の皆様は、規制範囲外への避難をお願いします。住民の皆様は、今後の火山に関するお知らせ、テレビ・ラジオの報道に注意し、この放送をお聞きした方は、近くの方にもお伝え下さい。
令和7年6月22日(日曜日)18時15分放送
6月22日午後4時37分に新燃岳で噴火を観測しました。
噴煙は火口から500m以上に上がり、東側高原町方面に流れています。
新燃岳は警戒レベル2、火口から約2km圏内の規制区域を継続していますので、引き継き警戒をお願いします。また、今後の火山に関するお知らせ、テレビ・ラジオの報道に注意してください。
(引用終わり)
かたせ2号です。
では、はじめます。件名を繰り返すと、「無関係な話題を2つ並べておく」です。
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<一つ目の話題>
ナショナル ジオグラフィックのサイトから。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/042600209/
記事名_「絶対に見つからない」アトランティス伝説、なぜ人気なのか?
2023年4月の記事。
(引用開始)
ツタンカーメン王墓から死海文書に至るまで、考古学者たちは数多くの発見を成し遂げてきた。では、なぜアトランティスは見つからないのだろうか。
これは、考古学者のデビッド・S・アンダーソン氏らにとっておなじみの質問だ。米ラドフォード大学の助教で、マヤ文明とメソアメリカ考古学が専門のアンダーソン氏は、アトランティスに関して毎日のように質問されるという。「本当の考古学より偽の考古学に関する質問の方がずっと多いのです」
アンダーソン氏らの答えはいつも同じだ。「アトランティスは絶対に見つかりません。完全に架空の話ですから」。だが、このように答えても、失われた島(または大陸)の存在は人々の想像力を刺激し続け、1000年以上にわたって憶測や陰謀説が絶えることがなかった。
都市アテナイの引き立て役として創作
近年公開された映画『センター・オブ・ジ・アース』や、最近のネットフリックスシリーズ「太古からの啓示」でも、アトランティスが題材となっている。しかし、アトランティス伝説は、古代ギリシアの哲学者プラトンが創作した架空の物語だ。紀元前4世紀にプラトンが著した対話篇の2作にアトランティスは登場する。
アトランティスを「Atlantis nêsos」(アトラスの島)と呼んだプラトンには、この島を人間の業績の頂点として表現する意図はなかった。それどころかプラトンは、アトランティスの文明を実在した都市アテナイの引き立て役として設定した。
プラトンの対話篇では、洗練された都市国家であったものの、傲慢な指導者たちがギリシアを侵略しようと試みた後に滅亡した文明として、アトランティスが描かれている。権力を追求するアトランティスの人々を懲らしめるために神々が天災をもたらし、アトランティスは海底に沈み壊滅した、とプラトンは書いている。
「プラトンのでっちあげです」。考古学者で英カーディフ大学のマリー・スクウォドフスカ・キュリー・リサーチ・フェローであるフリント・ディブル氏はこう話す。「彼は、史実を述べているとは一度も書いていません」
プラトンの対話篇には、アトランティスが想像上の都市国家であることを示す多くの手がかりがあり、対話篇の登場人物もこの話が伝聞にすぎないことを強調している。それでも、アトランティス伝説は人々の想像力を刺激し続け、「アトランティスは実在した都市であり、その遺跡には失われた高度文明の証拠がある」という説も主張されるようになる。
(引用終わり)
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<2つ目の話題>
かたせ2号です。
「阿弥陀仏の本願 18願 すでに」で、GoogleのAI検索をした結果を以下に引用します。
(引用開始)
阿弥陀仏の本願、特に第十八願は、浄土真宗において「すでに」成就していると捉えられます。これは、阿弥陀仏がすべての衆生を救うという誓いを立て、その誓いが成就している、つまり、私たちが念仏を唱えることによって、浄土への往生が決定している、という意味です。
詳細:
浄土真宗では、阿弥来如来の四十八願のうち、第十八願が最も重要視されます。この第十八願は、浄土真宗本願寺派 熊本別院によると、「もし私が仏になったとき、十方世界のすべての生きとし生けるものが、心から信じて念仏を唱えれば、必ず極楽浄土に生まれることができる」という内容です。
この第十八願を、親鸞聖人は「本願」と呼び、特に重視しました。真宗の教えでは、この本願を信じること(信心)が浄土へ往生する「正因」であると説かれます。つまり、阿弥陀仏の本願を信じることによって、すでに往生は決定している、という考え方です。
したがって、浄土真宗では、念仏を唱えることは、往生を願う行為であると同時に、すでに往生が決定していることを確認する行為とも言えます。
ポイント:
第十八願:阿弥陀仏が立てた48の誓願のうち、最も重要な誓願。
本願:第十八願を指し、浄土真宗における中心的な教え。
信心:本願を信じること、これが浄土往生の決定的な条件。
すでに往生は決定:阿弥陀仏の本願によって、念仏を唱える者は、すでに浄土への往生が約束されている。
この「すでに」という感覚は、浄土真宗の教えを理解する上で非常に重要です。私たちは、ただ阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を唱えることによって、阿弥陀仏の慈悲に抱かれ、救われるという確信を持つことができます。
(引用終わり)
かたせ2号です。
なぜ、上のような引用をしたかというと、
「過去に起きた(阿彌陀佛の)言説によって、未来に起きることが確定している」という、説得のしかたが、非情に、あるいは非常に、真実をついているのでは、と感じるからです。
このような説得のしかたは、「本家」のキリスト教にもない考えで、日本に伝わる浄土信仰の方が、思想的にみても、真実に迫っていると、わたしは感じます。
浄土真宗(当時は一向宗)を、イエズス会への一大対抗勢力に仕上げた偉大な蓮如さんですら、禁書扱いとした、「歎異抄(たんにしょう)」。親鸞さんと弟子の唯円さんの会話録。
そこにある、「悪人正機説」。
いわく、
「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
直訳では、「善人でさえも往生できるのだから、悪人が往生できることは言うまでもない」という意味です。
ただし、これでは、まだ真意がよくわかりませんね。
阿彌陀佛は
「善人よりも、(回心を遂げた)悪人の方を、より上の位に置く」と言明しておられる、と
わたしは法律家のように「文理解釈」しておきます。
親鸞さんには、ここまで「世界は実はこうなっている」と見えていたのではないでしょうか?
これとの比較にて、新約聖書の似たような内容を引用しておきます。
「ルカ 放蕩息子のたとえ をわかりやすく」で、GoogleのAI検索をした結果。
(引用開始)
ルカによる福音書15章に登場する「放蕩息子のたとえ」は、父の財産を相続して家を出た息子が、浪費の末に困窮し、故郷に戻って父に許される物語です。このたとえ話は、神の無条件の愛と赦し、そして悔い改めることの大切さを教えています。
あらすじ:
ある男に二人の息子がいました。弟は父親に財産の生前分与を求め、受け取った財産を全て使い果たしてしまいます。故郷を離れて放蕩三昧の生活を送った末、飢饉に見舞われ、どん底の生活を送る中で、弟は初めて自分の過ちに気づき、父親の元へ帰る決心をします。
一方、父親は、弟が帰ってきたことを喜び、盛大な宴会を開いて息子を迎え入れます。しかし、真面目に働いていた兄は、弟が何の苦労もなく歓待されることに不満を抱き、父親に反発します。
意味:
このたとえ話は、以下の3つの重要な要素を伝えています。
1. 神の無条件の愛:
父親は、息子がどんなにひどいことをしても、無条件に息子を愛し、受け入れます。これは、神が罪を犯した私たちを無条件に愛し、赦してくださることを象徴しています。
2. 悔い改めの重要性:
弟は、自分の過ちに気づき、悔い改めて父親の元へ戻ります。この悔い改めが、神との関係を回復させる第一歩となります。
3. 神の愛の広がり:
父親は、真面目に働いていた兄にも、弟を喜んで迎え入れるように促します。これは、神の愛は、罪人だけでなく、神を信じる全ての人に分け隔てなく与えられることを示唆しています。
ポイント:
「放蕩息子」は、神から離れて生きる罪人を表しています。
「父親」は、神ご自身を象徴しています。
「兄」は、律法を守り、神に忠実であろうとする人を表しています。
このたとえ話は、神の愛と赦し、そして悔い改めの重要性を教えています。
補足:
このたとえ話は、イエス・キリストが、律法学者やパリサイ人たちが、罪人や取税人と親しくするイエスを非難したのに対して語られたものです。彼らは、神の愛は、律法を守る者に対してのみ与えられると考えていましたが、イエスは、神の愛は、悔い改める者全てに与えられることを、このたとえ話を通して示しました。
(引用終わり)
かたせ2号です。
ルカは、ここで、
「(回心した)放蕩息子も、律法を守り神に忠実であろうとする兄も、ともに立派ですやんか(関西弁)」と述べていて、それは、それで立派な言説ですが、
(ワタシの解釈による)親鸞さんのような、
阿彌陀佛は
「律法を守り神に忠実であろうとする「善人」よりも、(回心を遂げた)悪人(=放蕩息子)の方を、より上の位に置く」と言明しておられる
という言説の方がより、さらに先を言っているように思います。
ルカは、ここまで述べるのを控えていました。あるいは控えざるを得ませんでした。
ルカの思想と(わたしが解釈した)親鸞の思想との間は、ほんの一言ふたこと、の違いにすぎませんが、
数式で置き直すと
ルカ 「善人>=(回心できた)悪人」
親鸞「善人<(回心できた)悪人」
となり、その重大な違いが一目瞭然です。
この違い、この差は、無限に近い隔たりを生んではいると思います。
おそらくは、無限でしょう。
この話は、
「救世主」のイエス=キリストよりも、親鸞さんの方が、世界の「実相」がより深く見えていたのではないか?
とワタシには思える瞬間でもあり、それとともに、
世界の歴史における闇の深さにも、わたしの中では、すでに思い至る話になっています。
以上