柿本人麿とは何者か、5
守谷健二です、今回は『万葉集』中大兄(天智天皇)の三山の歌(巻一・13~15)について論じます。
香具山は 畝火雄々しと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき(13)
反歌
香具山と 耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原(14)
わたつみの豊旗雲に入日見し 今宵の月夜さやに照りこそ(15)
古来、中大兄の三山の歌は大和三山に譬えた妻争いの歌と理解されて来たようです。
額田王(ぬかたのおおきみ)は、最初大海人皇子(天武)と結婚していました。二人の間には十市皇女が生まれています。彼女は、天智の長男・大友皇子(明治に追号されて弘文天皇)と結婚し葛野王(かどののおおきみ)を産んでいる。
しかし、天智七(668)年では、額田王は天智の後宮に入り妃の一人になっていた。ここから天智と天武は、額田王をめぐって争った、と云う話が創られ(13)の歌は、その事を歌ったのだ理解されている。そのように考えると、香具山と耳梨山は男性と為り、畝火山が女性と言う事になります。
しかし歌の最初の部分は「香具山は、畝火雄々しと・・・」となっている。原文は「雲根火雄男志等(うねびおおし)」と書かれている。男らしい、勇ましいと云う意味だろう。是では畝傍山が女性では都合が悪いだろう。
私はこの歌を妻争いの歌ではないと考える、畝傍山を近畿大和王朝と、香具山と耳成山は倭国(筑紫王朝)と新羅と。大和王朝は新羅からも味方に付くように働きかけを受けていたのではなかったか。
そう考えると反歌二首の意味も生きてくる。(14)の歌の意味する事は、当時の倭国と大和王朝の勢力の境界が印南国原(明石市と高砂市の間)であったと言う事だろう。倭国の方が圧倒的に強勢であった。
(15)の歌も、本歌が妻争いの歌だとすると、全く意味をなさない。そうではなく、大和王朝が倭国に付くことに決め、筑紫に向け船出する前夜、これからの幸運を願い、旅の無事の祈りの歌と理解すれば、これ以上の秀歌はあるまい。この歌は『万葉集』だけにとどまらず日本の名歌の一首である。