柿本人麿とは何者か、7

守谷 健二 投稿日:2025/03/01 02:43

 『日本書紀』斉明紀に登場する日本国と倭国

斉明天皇の在位は西暦655年から661年の七年間、661年正月六日、天皇は筑紫行幸の旅に就く、その二日後大田皇女が船上で女子(大来皇女)を出産した。この事は前に論じた。

 今回論じるのは、斉明紀には、日本国(近畿大和王朝)と倭国(筑紫王朝)が別々の存在として登場していると云う事実である。

 斉明紀には「壱岐連博徳(いきのむらじはかとく)の書に曰はく」と云う引用記事が長々と載せられている。

 壱岐の連博徳は、斉明四(658)年に大和王朝(日本国)から派遣された遣唐使の通訳に採用された人物であった。

 「壱岐連博徳の書」は、その博徳の大和王朝に提出した業務報告書で、日本書記の編者はそれを引用して『日本書紀』斉明紀を創ったのである。日本の歴史学者たちは、斉明紀に日本国と倭国が同時に書かれていることを、皆知っていたのである。『旧唐書』と『新唐書』のどちらが正しいか、みんな判っていたのだ。

 『旧唐書』は、七世紀の日本を倭国と日本国の並立王朝の時代と書く、一方『新唐書』は、日本では開闢以来大和王朝しか存在せず、大和王朝の天皇が万世一系(王朝の交代など起らずに)で日本を統治して来たのである、と書いている。

 『旧唐書』も『新唐書』両書とも中国の正史である、しかし日本認識では甚だしく異なっているのだ。

   続く