昨日(2月22日)は「猫の日」だったそうです。まったく、知らなんだ。
かたせ2号です。
さて、ドナルド・トランプは相変わらず、統一教会との関係がズブズブのまま、世界の解体にとりかかっています。
それでも、Donald Trumpは、地上世界での「最後の審判」の実行役、「Trumpet」(トランペット、ラッパ)なのでしょう。
第2期トランプ政権での、仕事ぶりを冷静に見て、ワタシには、そうとしか考えられない。
「ゆったりと物事を最善の方法で裁く」、今がそういう時期なのでしょう。
そして、話を変えますが、
「猫の日」というものがあるそうで、いくつかあるそうなのですが、
日本の「猫の日実行委員会」が1987年に制定した記念日は、猫の鳴き声「にゃん・にゃん・にゃん」の語呂合わせで2月22日に定められています。
ワタシは、さきほどまで全く知らなかった。
昨日、2025年2月22日がまさしく「猫の日」でした。
以上のことから思い出した、もしくは連想したことを書いておきます。
(本題開始)
書物「老子道徳経」の有名な一節を、「最後の審判」思想と重ねて解釈すると、
老子という思想家が、小春日和に、飼い猫と一緒に縁側で日向(ひなた)ぼっこするおじいちゃんから、
おそろしい相貌を持った思想家に変貌します。
以下の二つの命題が、おそらく同値です。
1.
天網恢々疎にして漏らさず。
「悪事を行えば、天罰を逃れることはできない」という意味です。 老子の言葉が元になっています。
天網は「悪人や悪事を逃がさないように 天が張り巡らした網」という意味です。
「老子道徳経」 第73章の一部
天之所󠄃㆑惡、孰知㆓其故㆒。是以、聖人猶󠄄㆑難㆑之。天之道、不㆑爭、而善勝、不㆑言、而善應、不㆑召、而自來、繟然、而善謀。天網恢恢、疎而不㆑失。
〈天の惡む所󠄃、孰かその故を知らんや。是を以て、聖人も猶󠄄ほこれを難しとするがごとし。天の道は、爭はずざるも、而も善く勝ち、言はざるも、而も善く應じ、召かざるも、而も自ら來り、繟然たるも、而も善く謀るなり。天網は恢恢なれば、疎なるも而も失はざるなり。〉
〈しかし天の判断するところを誰が知ることが出来るのでしょうか。 この点から、聖人と言われる人にとっても判断は難しいのです。 天の道は争わずして勝ち、言わずとも応答し、呼ばないのに到来したり、ゆったりと物事を最善の方法で裁くのです。 天の法網といわれているものは大変大きく、目も粗いのですがしっかりと見ていて、何事も捉えられないことは無いのです。〉
かたせ2号です。
よく読めば、別に、最後の審判という裁きの形式を否定するものではありません。
2.
かたせ2号です。
ワタシにとって、「最後の審判」思想の相貌をもっとも顕わにしたのが、以下の映画の一場面です。
映画「仁義なき戦い」シリーズの中での
神戸・山口組 山本健一さん(梅宮辰夫さん)と 広島・共政会 服部武さん(小林旭さん)が対峙する場面が、個人的にはしびれます。
その中での小林旭さんのセリフを引用します。
「ほいじゃあ、言うといたるがのう、
広島極道は芋かもしれんが、旅の風下に立ったことは一遍もないんで。神戸のもんいうたら猫一匹通さんけん、おどれらよう覚えとけや」
「猫一匹通さんけん、おどれらよう覚えとけや」
かたせ2号です。
おそらく、地上世界の「最後の審判」Trumpet役のドナルド・トランプも、おそらく悪人に対してなら、
「猫一匹通さん」でしょうね。
老子という思想家も、2000年以上も前から、「猫一匹通さん」覚悟のほどだったようです。
以上、昨日の猫の日(2月22日)にちなんだお題で、感想をならべてみました。
まあ、単なるエッセイですけえ、、「網の目の粗い」ところは、大目に見てつかあさいや。笑い
(だから、「ふじむら」掲示板への投稿となります)
以上