映画「源氏物語 千年の謎」感想

藤村 甲子園 投稿日:2011/12/21 06:10

<映画データ>鶴橋康夫監督、2011年12月公開、東宝

<私 見> ホラー仕立ての源氏物語であった。
怖い怖いオバケ女(源氏の愛人の生霊)がバンバン出て来るが、一番怖いのは、実は作者の紫式部だったという話。

古典文学の近代的再解釈(商業化?)としては、まあイイ線行ってる方だと思う。
おいしい役(悪役、コワイ役)は、六条御息所を演じた田中麗奈が独り占めしていた。

平安貴族を演じた女優陣が(役目がら、)皆フリの小さい、表情に乏しい演技に終始していた中、紫式部役の中谷美紀だけは如何にも自意識の強そうな「近代女性」と見える役作りをしていた。

そもそもこの映画は、以下のような見立てに基づいている。

「紫式部は、自分が仕える主君である藤原道長への激しい思いを胸に秘めていた。実は『源氏物語』とは、紫式部が胸の中の苦しい思いを、そのまま草紙にぶつけたものなのである。」

創作がそんな単純なものであれば誰も苦労しないと思うが、まあ俗受けしやすい設定ではある。

この設定に基づき、道長役の東山紀之、そして紫式部役の中谷美紀も、極力、感情を内に秘めたような演技をしている。この二人が前に出すぎると、話の本筋である光源氏の方が霞んでしまうからだ。
東山と中谷だけの見せ場はいくつかあるのだが、注意していないとそのまま見過ごしてしまうほど控えめなものであった。

そして、二人の抑えた演技を見ていると「紫式部・片思い説」というのは案外、事実だったんじゃなかろうかとも思えて来るから、全く大したものである。
東山紀之は、バカにできない良い役者に育った。

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『源氏物語』のキーとなっている怨霊信仰について、私の見解を述べる。

平安貴族の平均寿命は40歳程度だったという説を聞いたことがある。
つい最近までピンピンしていた人物が、ふとした病で空しくなってしまう。そういうことが頻発する日常だったと思われる。
「なんであいつは、いきなり逝ってしまったのか。」
「××の怨霊のせいじゃないのか。」
そうでも考えなければ合理的に説明できない、やりきれないような気持ちだったのではなかろうか。たかが雷がなっただけでも「怨霊だ怨霊だ」と騒がずにはいられなかったのではなかろうか。

人知を超えたものには祈るしかない。謙虚であるしかない。
これは我々現代人だとて、同じことなのではなかろうか。私はこのことを、東日本大震災と、その後も打ち続く余震の中で痛感した。停電にせよ断水にせよ、もう手の打ちようがなかったのである。

我々が祈ること、謙虚であることを忘れたシッペ返しが、福島第一原発の「想定を超えた」事故だったのではなかろうか。
もしもそうだとするなら、福島第一原発の件は決して偶然ではない。我々はもう既に、取り返しのつかない道を歩んでしまったのかもしれない。
(以 上)