明治維新の元勲は「西郷隆盛と勝海舟」の2名である。

かたせ2号 投稿日:2025/06/14 20:10

件名_明治維新の元勲は「西郷隆盛と勝海舟」の2名である。

かたせ2号です。本日は、2025年6月14日です。
では、始めます。

さて、
西郷隆盛さんが、西南戦争で、積極的には一切動こうとしなかったのは、薩摩人の部下たちへの「裏切り」です。

これって、
勝海舟さんが、その後半生で、徳川士族が反乱を起こさないように、徳川慶喜を静岡県に謹慎させた、徳川士族への「裏切り」と
まったく同じことです。

そして、勝海舟の「裏切り」の匂いをするどく感じ取った、福沢諭吉が、
「瘠我慢(やせがまん)の説」で、海舟の無節操ぶりを、公に非難することをいたしました。

それについて、勝海舟は、その上記の真意を述べることなく(当然ながら述べることはできず)、
以下のように、覚悟を決めていいきったわけです。すなわち、

「行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずと存候(ぞんじそうろう)。各人へ御示(おしめし)御座候(ござそうろう)とも、毛頭(もうとう)異存(いぞん)これ無く候(そうろう)。」

かたせ2号です。

「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」
(『神の微笑』(芹沢 光治良(せりざわ こうじろう) 著、新潮社、1986)

このような、最後には沈黙を守った、西郷隆盛さん、勝海舟さんに言葉を与えるとするならば、
どんなコトバを用意しておけばよかったでしょうか?

おそらくこんなところでしょう。
あの頃の日本は、天国でも地獄でもない、『煉獄』(れんごく)の状態にあった。」と。

なお、この想像上の回答の元情報は、以下の通りです。

ポーランドと言えば、ワレサ書記長率いる「連帯」労組への弾圧を強化するようソ連がポーランド政府に大圧力を掛けている時期がありました。
1981年12月に、当時のポーランドのヤルゼルスキ首相は戒厳令を発して、「連帯」を非合法化し、ワレサなどの活動家を逮捕、事態を沈静化させました。
後に、ポーランドのヤルゼルスキ首相は、あの頃のポーランドは天国でも地獄でもない、煉獄の状態にあった、と述懐しています。
というのも、当時のポーランド政府が「連帯」労組への弾圧を拒んだら、ソ連は軍事侵攻していたことでしょう。1968年のチェコ・スロヴァキア「プラハの春」のときと同様の事態を防ぐこと、すなわち、ソ連の軍隊を国内に招き入れないことを、ヤルゼルスキは優先させたということです。
だから、当時のヤルゼルスキ首相は、ポーランドが「煉獄」にある、と観念する他はなかった、ということです。

勝海舟だって、当時の明治政府が良い政府だったなんて、思ってもいなかったはずです。
「氷川清話」を読めば、わかることです。日本も「煉獄」でした。

ここで、補足しておきます。
「煉獄」(れんごく)とは
、カトリック教会の教義で、小罪を犯した死者が天国へ行く前に、罪の浄化のために苦しむ場所のことです。また、その状態を指す言葉でもあります。地獄と天国の中間に位置すると考えられています。

かたせ2号です。
さて、こんな2人、西郷隆盛と勝海舟は、一致協力して、江戸の街(東京)が火の海になるのを、
1868年3月から1945年3月まで、約80年近く、より厳密には77年ほど後ろにずらすことに成功しました。
ふたりともやはり、大したものでした。
明治維新の元勲は、この二人に間違いない。

最後に。
西郷隆盛さんの、人生の最後における悲痛な心境を推測し、下の曲を、西郷さんに託します。
お疲れ様でした。

〔和訳〕誰が王になりたがる? Viva La Vida-Coldplay

〔和訳〕誰が王になりたがる? Viva La Vida-Coldplay

以上