日本古代史研究小史(3)津田左右吉(文献学)と梅原末治(考古学)の影響が巨大である。(その2)
伊藤睦月です。今回は、考古学。
(2)梅原末治の「形式学的研究法」が考古学の基本方法論となった。
2-(1)考古学では、梅原末治(1893-1983)が重要。大学出でなく、発掘編場からのたたき上げから、京都大学の先生になった。かなり、癖のある、つきあいにくい性格で、考古学者仲間からの評判は最悪だったらしいが、弟子育成には熱心で全国に弟子がたくさんいて、2000年くらいまで、学会をリードした。
2-(2)彼の方法論は、「形式学的研究法」。かみくだくと、
①徹底した観察・分類(出土物の形式、文様、材質などを細かく分類する)
➁精密な図録作成
➂地層判別法により、年代測定(古い地層から出土したのが古い遺物)
④炭素14年年代測定法などの科学的分析法への不信
といった方法で、例えば土器を観察して、縄文、弥生、庄内、布留、と細かく分類して、出土した地層の古い順から並べる、という方法。シンプルで、わかりやすい。現場の考古学者の励みとなった。
2-(3)その一方で④のような、科学的分析法の導入には消極的、というかよく理解できなかったのでは。
2-(4)炭素14年代測定法とは、炭素14という元素の半減期に注目して年代測定する方法。欧米の考古学では1960年代からポピュラーになった。わが国では梅原の影響が強く、採用しても、観察結果を補充するものとして扱われた。出土物を数理統計学で分析、分類する方法(安本美典など)も同様。
2-(5)このような、「歴史サイエンス」の手法が認知されるきっかけとなったのが、2000年に発覚した旧石器捏造事件。藤村新一、という、現場のたたき上げ考古学者が、旧石器の捏造品を、旧石器時代の地層に仕込んでいたことが発覚して、大問題となった。副島先生の重掲にも取り上げられていた。
2-(6)藤村新一については、彼だけが、次々と旧石器を発見していることから、(そのため、藤村は「ゴッドハンド」と呼ばれた。)藤村に疑問を持つ研究者もいたが、学会の重鎮の一人が藤村を支持、擁護していたために、発覚が遅れた。発覚後は新聞等がセンセーショナルに報じられ、学会は一時パニックになった。
2-(7)なお、藤村の旧石器を「日本文明」のよりどころとしていた、「新しい教科書を作る会」の失速のきっかけとなった。会の有力イデオローグであった、渡部昇一、西尾幹二、田中英道、たちの株が暴落した。
2-(8)伊藤睦月です。この事件以降、ようやく、科学的年代測定法が重用されるようになったが、重用しすぎる弊害がおこった。
2-(9)2013年、宮内庁が管理する、箸墓古墳が、国立歴史民俗博物館(レキハク)が、炭素14年代測定法を使って、出土品の年代測定を実施。卑弥呼に時代と同年代の可能性が高い、と発表。それを朝日新聞がセンセーショナルに報じた。たちまち、考古学学会の「通説」となった。『副島隆彦の歴史再探訪』(2019年)にも出てくる話。
2-(10)この発表は、邪馬台国畿内説の有力根拠とされた。当時の学会内の「空気」としては、「いまのところ、考古学会では、ほぼ近畿説で落ち着いているのが現状であり、『九州説を採る者にまともな考古学者はいない』発言さえ、聞かれるようになった」(片岡宏二『邪馬台国論争の新視点』2019年雄山閣)
2-(11)その後、安本美典氏らが強力な反論を行っているが、新聞各社は取り上げず、「週刊文春」のみが報じたという。2024年現在でも、畿内説、九州説が拮抗している。以前にも述べたように、考古学の見直しや、歴史サイエンスの成果が浸透してくると、なし崩し的に、九州説に落ち着くとは思うが、数十年はかかるだろう。教科書の記述が変わるのが目安。
2-(12)このレキハク(大阪国立民族博物館「ミンパク」とは別。レキハクは千葉県
の発表は、私見だが、旧石器捏造事件の名誉回復や、箸墓古墳のある、奈良県や桜井市の観光振興という政治的意味合いもあるので、建前上なかなかひっこみつかないようだ。地元で実際に発掘調査している、真面目な考古学者たちもうんざりしているらしい。(関川前掲)考古学会それ自体は、「邪馬台国論争」にさほど、重きは置いていないという。(片岡前掲)。騒いでるのは、素人さんだけ、ということか。なし崩し的に落ち着くだろう、という私の観測はここからきている。
小休止、伊藤睦月筆