日本古代史備忘録(5)結局、魏志倭人伝では、邪馬台国の場所はわからない(2)
伊藤睦月です。昨日の続きです。
(1)1983年、謝銘仁という中国(国立台湾海洋学院大学教授:当時)の文献学者が『邪馬台国 中国人はこう読む』という本を日本の出版社(立風書房)から出している。日本の文献学者安本美典氏が解説文を書いている。個人的な親交もあるらしい。
(2)伊藤睦月です。私はこの本の存在を、下條竜夫『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』で知った。下條氏は、同書掲載の、魏志倭人伝の訳読を採用している。卓見、であると思う。(上から目線で恐縮です)私なら、岩波文庫や講談社学術文庫版など、入手しやすい、日本人学者による訳読を無批判で採用していたところだ。
(3)当時、いわゆる「古代史ブーム」「邪馬台国ブーム」だったころだ。かなり反響があった、と思いたいが、そうでもなかったようだ。今では、謝銘仁に言及しているのは、安本美典氏くらいしかいない。残念なことだ。
(4)謝銘仁教授は、同書「はしがき」で次のように言う。
(5)「邪馬台国について知るのに、まず必要なことは、「魏志倭人伝」の段落並びに、その文章を的確に把握することである」
(6)伊藤睦月です。謝先生、おっしゃる通りです。
(7)謝教授はさらにつづける。
日本で定本扱いされている「魏志・倭人伝」とかつて中国側が多くの学者を動員して、句読点(くとうてん)をつけ、1959年に発行した票点本『三国志』の中の「魏志・倭人伝」とを比較すると、本文の句読点だけでも、百か所近くの異同がみられる。(へえーそうだったんだ・・・(遠い目):伊藤)
(8)謝教授いわく、「陳寿の鳥瞰的な記載からは、邪馬台国の所在は九州の域を出ないことは言える。しかし、どこそこにあると強引に設定するのは、推測の域を出ない」
(9)特に、「行程論」について、謝先生の見解は、
「(魏志倭人伝の)行程記事は、中国的に表記しているので、中国文の伝統とニュアンスを吟味して理解することが肝心である。ところが日本的発想に基づく先入観にとらわれて、邪馬台国の所在を比定することが行われ、独善的な珍訳・奇論の展開がみられている」
(10)伊藤睦月です。あちゃ~😵これって、今までの日本人による邪馬台国論争の全否定じゃん。すでに40年前に、中国ネイティブ学者によって、「秘孔」は突かれていた、それからは、ゾンビのような論争が続けられていただけのことではないか。本当はこの時点で少なくとも違うアプローチを検討すべきだったのだと、私、伊藤睦月は、ため息をつきながら、思います。「失われた〇〇年」がここにもあったか。
(11)これって、90年代の副島先生が、「欠陥英和辞典」でたこつぼ学会村と裁判闘争をやっていたのと、同じことだと、僭越ながら、思います。
(12)ところで、安本美典氏は、同書解説を次の文章で締めくくっている。「中国人学者が読んだ場合、『魏志』『倭人伝』のどこまでがゆれ動き、どこまでが一致するかを見定めることは、議論の出発点として必要なことであろう。邪馬台国研究は、今、ようやく国際協力の時代に入り、新たな出発点を迎えているようである。本書はそういう意味で、重要な一石を投じたものといえる」
伊藤睦月です。40年後の今、安本センセイの現在の感想をお聞きしたいものだ。まだ、ご存命のうちに。
(ご無礼、陳謝)。小休止。
伊藤睦月拝