捨て置かれている晋書(【409】への返信:その2)
2054です。東倭がなぜ、これほどマイナーな扱いなのかを考察してみたいと思います。
伊藤氏は歴史の専門研究家ではないとのことでしたが、私から見ると、古代史について精通している御仁です。また一連の投稿を見るにつけ、古代史学会の議論を丹念に追われていることもうかがえます。その方でも晋書の該当部分についてご存じない、というのは、日本の古代史学会が「晋書」の無視していることを物語っているように思います。
小林恵子によると、東倭は唐突に出てくるので学会は「不審だとして捨て置いている」と述べています。『安史の乱と藤原仲麻呂の滅亡』(小林恵子・現代思潮新社p261)より引用します。
(引用はじめ)
新装版の最後にあたって私独自の古代史研究方法をお伝えしたい。 まず、第一に東アジア史は中国を中心にして、その歴史の推移がただちに列島に連動しているので、日本古代史を知るには、まず中国の歴史を知らなければならないのである。このことは太平洋戦争の敗戦直後の昭和二○年代から一般的にいわれていることだが、未だ実行されているとはいえない。
その理由は、おおむね日本史家は中国の史書に詳しくないからである。たとえば「三国史」の「魏書」倭人条や『宋書』の倭の五王についての論文はしばしば見かけるが、『晉書』にみえる東倭については唐突にでているので、不審だとして捨て置かれ、論及されていない。(中略)このような正史ではなくても倭および日本についての史料は中国に数多くあるが、日本史研究者が日本に関係しないと思うのか細かく検証しようとしない。
(引用終わり)
2054です。次の投稿では、晉書の無視についてもう少し考察を続けたいと思います。