思いて学ばザれば、すなわち、あやうし(10)古事記偽書論争を概観する(7)国語学者の自己批判?(大野晋の「業績」について
「学問ごっこ」の伊藤睦月です。今回は、大野晋をとりあげます。その前に、国語学について。
(48)「国語学」と一言で言いますが、いくつかの研究部門に分かれているようです。まず、このことを書く。あくまで門外漢の私の理解です。(もし、過誤あればご指摘いただければありがたいです。多分最新の著作である、沖森卓也(立教大学名誉教授)「日本語全史」(ちくま新書2017年)から。
(1)文字表記論
(2)音韻論
(3)語彙論
(4)文法論
の4分野がある。国語学は「日本語学」の意であり、言語学の一分野です。古事記偽書論争で、1979年までは、本物説の主要論拠「上代特殊仮名遣い」は音韻論の大業績である。発見者は橋本進吉(1882-1945)、「橋本文法」という、私たちが中高校でならった「国文法」で有名です。現代国語学のビッグネームです。
(49)古代、日本人は文字を持ってなかったので、日本語の「音」を中国文字で表そうとした。「変体漢文」(万葉仮名)といい、その規則性に最初に気づいたのが、あの「本居宣長」とその弟子、石塚龍麿(たつまろ)という江戸時代の国学者、橋本はその石塚の研究を精査して、「国語仮名遣研究史上の一発見ー石塚龍麿の仮名遣奥山路」(1917年)を発表し、橋本の弟子、有坂英世(1908年ー1952)はそれを受け、古事記だけの使い分けを発見して、「上代特殊仮名遣い」と命名した。
(50)有坂は、橋本進吉の一番弟子で、「天才」と言われて、橋本の後継者に指名されていたが、結核のため、40代で没した。橋本も1945年に没したため、彼の後継を指名したのは、同僚の金田一京助(1882-1971、アイヌ語の研究や国語辞典の編纂で有名)だが、有坂の早世をのちのちまで惜しんだという。(ウイキペディア情報)さきの橋本論文の概要は、講演集「古代国語の音韻について」(1980年岩波文庫、大野晋解説)で誰でも読むことができ、この本は国語学を志す者の「必読文献」だそうだ。(ヤフー知恵袋)
(51)伊藤睦月です。このように、「上代特殊仮名遣い」は国語学のなかでの「音韻論」の業績であって、それ以上のものではない。それを「古事記偽書論争」に持ち出したのが「大野晋(1919-2008)」である。
(52)大野は「上代仮名遣いの研究ー日本書紀の仮名を中心として」(1953年岩波書店)を著して、橋本=有坂の論文を紹介、解説者として登場した。続いて「日本語の起源旧版」(1957年岩波新書)で、上代特殊仮名遣いを正確に書き分けられたのは、奈良時代初めの人間であって、平安時代の人には書き分けは不可能だと主張して、古事記偽書説を否定した。それに反論したのが、大和岩雄(1928-2021)「旧版古事記成立考」で、それに対する大野の再反論が、「日本語の成立 日本語の世界1」(1980年中央公論社)、それを改題したのが、「日本語はいかに成立したか」(2002年中公文庫)であり、この文庫本は「中二病君」が唯一、取り上げている文献である。
(53)この大野説は多くの賛同者を得て、古事記本物論者の理論的支柱となった。そういう意味では「中二病君」が「(古事記偽書説は)国語学により完全に否定された」と断じるのは無理はない。
(54)しかし、大野=大和論争が進むなかで、国語学者のなかにも、大和に賛同する学者も増え始め、偽書説を認めないまでも、古事記序文や本文には、明らかに平安初期のものが混在している、という指摘も現れ、古事記偽書論者も、序文は偽書だが、本文は本物という、論が多数派になるにつれ、本物説との実質的違いがなくなってきたところに、1979年、太安万侶墓誌が発見されることにより、これまでの議論が事実上、消えた。
(55)伊藤睦月です。1979年の時点で、古事記全部偽書説を主張しているのは、鳥越憲三郎(1914-2007年)「古事記は偽書か」(1971年朝日新聞社)、岡田英弘(1931-2017)「倭国の時代」(1976年)「日本史の誕生」(1994年)だけになった。ひとり、大和岩雄だけは、反論を続けたが、学会からは無視され続けた。(そのやりとりを含め、大和が関係する論争は「新版古事記成立考」という600頁を超える本にまとめられている)そして、2004年に三浦佑之(1946ー「口語訳古事記」が有名)が大岩の説を復活させ、古事記偽書論争は、新たな展開が始まっている。
(56)伊藤睦月です。「中二病君」の勉強不足を指摘するのにこれだけの時日を要した。彼にとっては、「学問ごっこ」だろう。しかし、わが国の人文学の世界では、この最低限、「学問ごっこ」を押さえてておかないと、「この人わかってないよね」で、後何を言っても、相手にされないだろう。これは、副島隆彦先生の論がしばしば論壇から、無視されるのとまったくレベルの違う話(副島先生がきちんと基礎文献を踏まえていることは明らか)である。そこは勘違いしないよう。(ま、そういう人はいないか)また、この「学問ごっこ」が何か、については、村上紀夫(奈良大学教授1970-)「歴史学で卒業論文を書くために」が参考になる。老婆心まで。また「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(祥伝社新書)もよかったらどうぞ。
以上、伊藤睦月筆