思いて学ばざればすなわちあやうし(4)古事記偽書論争を概観する(2)

伊藤 投稿日:2024/10/03 11:39

伊藤睦月です。小休止終わり。

(7)古事記序文偽書説を最初に提起したのは、江戸時代の国学者のビッグネーム、賀茂真淵である。京都の陰陽師の家柄だと思う。「ますらおぶり」や「たおやめぶり」のコンセプトで有名。知らない人は高校教科書(日本史、倫理、日本文学史)を復習してください。

(8)この賀茂真淵が、当時古事記研究をしていた、本居宣長(これも超ビッグネーム)にたいする書簡のなかで、「古事記序文は偽書だ」と断定した。

(9)本居宣長は、賀茂真淵と面識はなく、手紙で情報交換する関係だったが、宣長はこの書簡を受け、「序文」を無視し、本文だけを読み解いて、「古事記伝」を完成させた。これが大当たりした。

(10)実は、古事記はもともと漢字オンリーで、それを現在のような、漢字仮名交じり文に「翻訳」したのは宣長だ。

(11)さらに言えば、古事記序文は、四六駢儷体(しろくべんれいたい)という、平安初期の日本人(空海774年~835年が有名)が好んだ漢文(但しネイティブではないので、不自然な漢文)、古事記本文は、変体漢文(万葉仮名といって、日本語の音に一定の法則で漢字をあてた、漢字だらけの文)からなっている。

(12)賀茂真淵は、どういう理由かは不明だが、「序文」を偽書だと断定し、本居宣長は、「序文」は「漢文(カラゴコロ)だから、不純。本文は。漢字を使用しているとは言え、日本語だから、本文こそ、ヤマトゴコロを体現している(「儒仏以前」といって、外国文明に毒される以前の日本人の清純な精神世界を表している)として、古事記伝を完成させた。

(13)古事記伝は多くの学者や文化人に受け入れられ、定説化したために、「序文」「本文」ともまとめて、「偽書」と主張されなくなった。

(14)約200年ぶりに、古事記序文、本文偽書説が主張されたのは、昭和に入り、中沢見明の「古事記論」だが、太平洋戦争が勃発すると、中沢は「非国民」だと憲兵隊に拘束され、その著書は禁書扱いになり、絶版に追い込まれた。

(15)そして、終戦を迎え、そういうタブーはなくなったはずだが、「偽書説」は学会主流にはならなかった。

(16)学会主流は国語学の成果を取り入れ理論武装を強化したのだ。

次回につづく。以上、伊藤睦月筆