思いて学ばざればうなわちあやうし(12)古事記偽書論争を概観する(12)そして誰もいなくなった?
(93) 伊藤睦月です。最初から申し上げているように、私は、「古事記偽書説」(岡田=副島)を支持している。だから、「中二病君」が主張する、古事記でなんらか日本古代史を語ること(古事記が日本書記の遺書だとか、稗田阿礼の正体など)は論ずることに意味はない、という立場である。それでも、たとえ、私と異なる見解でも、およそ学問的な論考である限り、人文学研究のルール(学問ごっこ)をやらねばならない。われながら厄介な性格だな、とは思う。
(94)前回からの続きでいえば、本物説を前提に、その後も国語学の立場から反論があり、それに対する三浦佑之の再反論、学会主流から、「稗田阿礼」の正体についても、学会主流では、すでに有力説が提起され、現在では、その検証が議論のメインになりつつあるなど、「中二病君」より、先に行ってるよ。世の中は。自分のオリジナルアイデアに陶酔して、かといって「稗田阿礼」の正体も思わせぶりで、特定できない、臆病者の勉強不足君には、わからない(わかろうとも思わない)だろう。
(95)なお、上記については、三浦佑之『古事記をよみなおす」終章「古事記はとはいかなる書物か」「あとがき」2010年ちくま新書、を参照のこと。
(96)伊藤睦月、です。では、これからは、古事記関係以外についても、目に余るので、「学問ごっこ」を始めていく。
(97)参考資料は、副島隆彦「歴史再発見」、「天皇とは北極星のことである」の2冊が、私の立論の「ネタ本」であることをあらかじめ、表明しておく。(しかし100%追随しているわけではない、のであしからず)
以上、伊藤睦月筆