思いて学ばざれば、すなわちあやうし(8)古事記偽書論争を概観する(5)(その後の顛末:古事記本物説の現在)
(35)伊藤睦月です。では、古事記本物説の代表者の見解を紹介する。なお、この古事記偽書論争は、現在では「古事記成立論」の文脈で語られることが多いらしい。
(36)(引用開始)古事記には上表文がある。これによって編纂の経緯に具体的な手がかりがあたえられるが、反面、あやういところもある。(上表文の)解釈いかんによって成立の問題が大きく左右されるからだ。まして上表文に疑いがあれば、解釈そのものが無効になりかねない。
(37)古事記の成立論は、上表文の信ぴょう性を問うことから始めなければならない。その点で古事記偽書説の果たした役割は大きかったといえよう。上表文の真偽をめぐる論争は、そのまま古事記の成立論であった。のみならず、その成否はすぐさまわが国最古の古典に黒白をつける事態をもたらす。論争には、「ただならぬ」気配があった。少なくとも私(当時院生)には、そのように感じられた。けれどもこの論争は、太安万侶の墓誌が発見(1979年)されたことで速やかに幕が引かれたのである。論争がほぼピークに達したとき、よりによって、墓誌が出現したのだ。
(38)むろん、安万侶の実在が証明されたこと自体に対して新味がない。墓誌が上表文の真実を直接保証するものではないからだ。しかし偽書説を裏付ける材料はなかった。かえって墓誌はその有力な根拠のいくつかを奪い取ったのである。かくして古事記の名誉は挽回され、これがわが国最古の古典であることに疑問を挟む余地はなくなった。
(39)古事記にとってこういうなりゆきは喜ばしいところだが、上表文の信頼度が強められたことで、その後の成立論が衰退の方向をたどったのは、歓迎すべきことではない。安万侶がこの文書を書いたことは、事実だとしても、古事記の編纂経緯にはまだまだ不明なところがあるからだ。(引用終わり。西條勉「偽書説の上表文1初めに(「古事記の文字法」(2012年)笠間書店所収)
(40)伊藤睦月です。西條勉(1950ー2015)は現時点では他界している。現在では、三浦の著書を見る限り、守嶋泉(1950ー青山大学名誉教授)が学会主流の見解を代表しているようだ。森嶋の著書については、アマゾンで注文中だから、入手できれば、紹介する。
(41)伊藤睦月です。この三浦と西條、両方の論者を読み比べて、1979年までは両者は拮抗、むしろ偽書説有利で、本物説は防戦一方だ。守谷君が依拠する国語学も、先に紹介した大野晋の文庫本でも、「序文はともかく、本文は本物だ」論に終始し、偽書派がそれを受け入れ、序文のみ偽書論が多数派になると事実上無力化した。
(42)1979年の太安万侶墓誌の発見は、それこそ学会主流にとって「神風」となった。上記文章をよく読んでみると、三浦が回想するように、かなり本物派に有利だともいえず、西條は比較的正直に認めているが、「勝者の余裕」のように思える。いずれにしても、学会主流は本物論で決着済みで、この論争は終わりにして、偽書論、本物論者とも、次の成立史の論点に進みたいようであるが、もう少し、紹介する。
小休止。以上、伊藤睦月筆
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