思いて学ばざれば、すなわちあやうし(6)古事記偽書論争を概観する(4)考古学からの反論

伊藤 投稿日:2024/10/05 15:46

伊藤睦月です。

(31)1975年に大和岩男が「旧版古事記成立考」で、古事記序文偽書説を展開し、古事記本物説をとる、大野晋ほか学会主流との議論が活発になった。古事記序文偽書説は、、松本雅期(1912-1993)、神田秀夫(1913-1993)、西田長男(1909-1981)、友田吉之助、鳥越憲三郎(1914-2007)、といった国学者、民俗学者、松本清張(1909-1992)といった歴史推理作家、岡田英弘(1931-2017)といった、他分野の歴史学者に賛同者が多かった。特に松本清張は、大和岩男の熱心な支援者であり、大岩に新版の執筆を勧めたり、大野晋との宴席を設けたりした。大岩は、自分の「旧版古事記成立考」は、松本尾清張説(「古代探求(1974年)」を継承、発展させたものだと語っている。(「新版古事記成立考」2009年)

(32)しかし、学会主流は主に「上代特殊万葉仮名」や本居宣長「古事記伝」を根拠に、偽書説を批判し続けた。そんな中、1979年に関係者を震撼させた、ある事件が発生した。これにより、約30年間、古事記偽書説論者のほとんどが沈黙した。

(33)1979年1月に奈良県奈良市で発掘された、太安万侶の墓から出てきた墓誌(故人の記録)は、関係者に大変な衝撃を与えたらしい。「これで偽書説が吹っ飛んだ」と評した研究者もいたようだ。

(34)古事記偽書説論者は、その多くが「序文」を平安時代初期に太安万侶の子孫と称する多人長(おおのひとなが)により、偽造されたものとする。ただし本文は、上代特殊万葉仮名遣いの理論を受け入れ、8世紀の奈良時代初期の文章だとする。それでも古事記偽書論者は困らない。

(35)なぜなら、古事記という歴史書編纂の事実、経緯、稗田阿礼などは、序文にしか記載されておらず、当時の日本正史「続日本紀」をはじめ、それらの存在を証明する史資料が一切ない。ということは、「序文」が偽書であることを立証できれば、本文も偽書の可能性が高い、ということだ。

(36)なお、太安万侶は、古事記の編纂者でなく、民部卿、つまり行政官僚として「続日本紀」に掲載されてはいた。

(37)しかし、古事記偽書論者たちは、以上の理由で、太安万侶、稗田阿礼の存在を否定しており、学会本流も明確な反論ができなかった。

(38)そこで、さきほどの「太安万侶墓誌」の発見により、古事記の作者「太安万侶」の存在が証明された、とされ、偽書論者たちの多くは反論できなかった。古事記は序文、本文すべて本物だということになった。このニュースは全国紙で報道、テレビニュースやNHKの特集番組などによって、関係者だけでなく、国民一般にも浸透したようだ。

(39)この衝撃はすさまじかった。そのときの状況を現代の古事記序文偽書論者である三浦佑之は、次のように回想、総括している。

(引用はじめ)昭和54(1979)年1月23日に(太安万侶の)墓誌が発見されて以降、「序」への疑いは雲散霧消してしまいました。その当時私も墓誌の出現に浮かれていたと思いますが、改めて振り返ると、とんでもない誤りを犯していたのではないかと、恥ずかしくなります。少なくとも、発掘された墓誌には、古事記の成立を保証する事実は何も書かれていないのです。(以上、引用終わり。「古事記をよみなおす」262頁ちくま新書2010年)

 伊藤睦月です。三浦佑之が古事記序文偽書説を、「古事記学会」で発表したのは、2004年。それまでは、大和岩男が三浦と同趣旨で何度も反論を試みたが、批判と黙殺の連続だった。(そのあたりの状況は、大和岩男「古事記偽書説の周辺」(1979年)、「古事記偽書説は成り立たないか」(1988年)、そしてこれらを含めた、古事記偽書説の主張、反論、再反論は、「新版古事記成立考」(2009年大和書房)という600頁超の大著となっている。この本のあとがきで大岩はこう慨嘆する。

(引用はじめ)本文でも書いたが、私(大岩)は、専門の古事記学者でないから、34年前刊行の旧著は無視されてもよいのに、多くの学者が私見を取り上げ、批判を書いてくださり、古事記学会は、私の論文のいくつかを載せ、古事記学会の会員に加えてくださった。上代文学会も無視はしなかったが、私見は認めなかった。(中略)本書は、34年前に刊行した旧著の私見についての批判と、その批判に対して諸雑誌で反論・再反論した原稿の一部を載せているが、私も(2009年時点で)81歳だから論争をした学者の多くも死亡している。しかし、本書に乗せた批判文は、生存中に相手は読んでおり、死後に反論できないのを承知で批判した文章は一つもない。

 私は専門学者ではないが、私なりに専門学者の論文や諸文献を検証し、独断を避けて書いたのだから、34年前の旧版と違い、新版はきちんと読んで批判してほしい。(以上引用終わり)

伊藤睦月です。私が守谷健二君に言いたいことのほぼすべてがここに書かれている、守谷君、君も副島隆彦学問道場の会員、副島先生の弟子たらんとするなら、恥を知れ。

 

 

 

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