思いて学ばざれば、すなわちあやうし(5)古事記偽書論争を概観する(3)

伊藤 投稿日:2024/10/03 17:59

伊藤睦月です。

 今回は国語学の話になる。いわゆる「上代特殊仮名遣いの研究」というものがあり、これにより、守谷君が主張しているように、古事記偽書説を完全に否定するはず、だったが、そうならなかった。現在では、古事記序文偽書説も本文の時代確定に取り入れられ、国語学からの反論は無意味化してしている。ただその中で、大野晋だけは、2008年7月に亡くなるまで、こだわり続けた。それはなぜか。私なりの考えを述べる。

(17)まず、上代特殊仮名遣いについて、大野晋の説明を引用する。(「古典文法質問箱」48頁~52頁、1998年角川ソフィア文庫)少し長いが、守谷君の主張にかかわる部分なので、ついてきてください。

(引用はじめ)・・・では。録音機などなかった昔の発音をどうして調べるのかといえば、奈良時代の発音は万葉仮名で書き写していたので、その万葉仮名を詳しく調べます。・・・(中略)万葉仮名を全部にわたって丹念に調べてみた結果、次のようなことがわかりました。

①・・・十九の仮名には、甲類及び乙類に分けられる二つの区分がある。

➁『古事記』だけにはモにも二つの区別があった。このモの区別は『万葉集』や『日本書紀』にはない。

➂、④略

⑤つまり、奈良時代の大和地方では87音節が区別されていた(『古事記』は88節が区別されていた)以下略

これが有名な橋本進吉氏の上代「特殊」仮名遣いの研究によって明らかにされた上代語の音韻の体系です。(以上、引用終わり)

(18)伊藤睦月です。この「古事記」だけ、モに二つの区分があり、それが厳密に守られて表記されて、万葉仮名の発展段階をとびぬけていることから、「特殊」とよばれ、古事記が、平安時代初期ではなく、8世紀の和銅年間に執筆された証拠だとされた。

(19)これに対し、序文偽書論者の大和岩雄は、「古事記成立考(旧版)1975年」で、大野晋「日本語の起源(旧版)岩波新書1957年」で「万葉集のころの人が区別していた発音を、平安時代の人がモの区別を一つも間違えずに書き分けるのは不可能」として(古事記本物説の)論拠としているが、橋本進吉氏や有坂有世氏、大野晋氏のような専門家なら可能だろう、と書いて大野晋の猛反発を招いた。

(20)伊藤睦月です。橋本進吉とその弟子有坂有世は、本居宣長とその弟子が発見した、万葉仮名の規則性を精査して、さきの「上代特殊仮名遣い」の理論を作り上げた、戦前国語学の逸材、大野晋は、この説の紹介、普及に邁進し、橋本進吉の後継者としての学会内の地位を確立した。

(21)だから、橋本=有坂のような専門家なら、古事記の「偽造」も可能だろう、と大野は受け取った。自分が神とも仰ぐ橋本=有坂を冒とくされたと感じたのではないか。

(22)大和岩雄という人物は、「大和書房」、「青春出版社」(試験にでる英語シリーズ、青年サラリーマン向け月刊誌「ビッグトモロー」が有名)のオーナーで、松本清張とも親交があった。

(23)また、松本清張の仲介で、江上波夫(騎馬民族征服説)や大野晋の知遇を得て、たぶん大野の紹介で、「古事記学会」にしている。

(24)大野晋といえば、「日本語タミル語起源説」だが、大野晋がインドタミル語調査旅行のスポンサーの一人であったと思われる。

(25)しかしながら、この古事記偽書論争により、両者は絶交状態になり、大野が2008年、大和が2021年にそれぞれ死去するまで、まともな交流はなかったようだ。

(26)守谷君が論拠とする、「日本語はいかにして成立したか」(中公文庫2002年、「日本語の成立1980年を加筆訂正)248頁「古事記偽書説の誤り」はこの文脈で読むと感慨深い。

(27)改めて、その部分を読んでみてください。

(引用開始)古事記偽書説の誤り:・・・(中略)、事実、古事記の序文の内容には古事記の本文とそぐわない点があるし、正史(続日本紀のこと)に古事記編集に関する記録もない。それで大正時代にに「古事記偽書説」を唱えた人(中沢見明のこと)があり、最近も平安時代初期、弘仁時代の偽作だと述べる人がある。(鳥越憲三郎、大和岩雄など)しかし8世紀の万葉仮名の研究(上代特殊仮名遣いの研究)から言えば、古事記の「本文」が平安時代の成立だとは決していえない。(引用終わり)

(28)伊藤睦月です。鳥越憲三郎(1914~2007)は、民俗学が専門で、日本古代史に関する著書も多いが、1971年に「古事記は偽書か」を著し、古事記序文、本文すべて偽書説を展開している。岡田英弘の古事記偽書説は、この鳥越の所説をほぼ全面的に採用しているので、岡田の著書を読めば、その概要がわかる。

(29)この鳥越と中沢以外はすべて、古事記序文偽書説である(折口信夫、松本雅明、松本清張、大和岩雄、三浦佑之など)彼らは、橋本=有坂説を受け入れ、本文は8世紀のものと認めている。

だから、国語学からの偽書説主張は無意味になった。したがって守谷君の主張も、その後の論争史を抑えていない、「不可」である。

(30)しかしながら、1979年に起こったある「事件」により、古事記偽書説は四半世紀にわたり、「沈黙」してしまう。それは国語学からではなく考古学から襲来した。それについては、次回説明する。

以上、伊藤睦月筆