思いて学ばざれば、すなわちあやうし(14)古事記偽書論争を概観する(11)私の考え(3)
(74)怒り増幅中の「学問ごっこ」伊藤睦月です。
前回の続きです。私が論争史を概観するもう一つの理由は、これが「中二病君」の立論のアキレス腱だからだ。
(75)「中二病君」にとっては、偽書論争など、どうでもよいことなのだろう。彼の立論の目的は、古事記本物説を前提として、
①古事記の制作目的
②作者の一人とされる「稗田阿礼」の名前の由来と正体
③古事記と日本書紀との関係
などについて、彼自身の頭で考えだされた、オリジナルなアイデアを披露することにあるのだろう。
(76)しかし、古事記が偽書となったら、どうなるか。彼の議論は根底から覆り,せっかくのオリジナルアイデアも雲散霧消する。
(77)だから、古事記偽証説論争を十分に押さえておく必要があり。私のような少数説支持者ほど、これにエネルギーを注力せざるを得ない。
(78)一方で「中二病君」は、学会多数説(本物説)に準拠しているのだから、そんなに手間暇かからないなずだが、その論拠が「大野晋」の一般向けの本、しかもそれ1冊だけとは、手抜きもよいところ。
(79)せめて、1979年の太安万侶墓誌の発見という多数派の最大論拠をあげればよいのに、無視するとは、単純な馬鹿か、そうでなければ人文学をなめているとしか思えない。泉下の大野晋先生が嘆かれるだろう。
(80)以前の投稿で、フビライカーンがマルコポーロの「東方見聞録」をよんで、日本征服を企てたなどとトンデモ論を披露して「大恥」をかいた筈なのに、(「東方見聞録」が世に出たのは、クビライカーンの死後。「東方見聞録」には、元寇(弘安の役)の記事が載っている。)また性懲りもなく、でたらめ論をしかも「重たい掲示板」に投稿するなんて、「どうかしてるぜー」と叫びたくなる。
(81)私は、古事記全部偽書説をとっているので、それ以上の議論は無意味だが、ご希望なら、「中二病君」のオリジナルアイデアの問題点を指摘してさしあげましょうか。
以下、次回。以上、伊藤睦月筆