思いて学ばざれば、すなわちあやうし(12)古事記偽書論争を概観する(9)私、伊藤の考え
投稿日:2024/10/08 12:00
(66)「学問ごっこ」大好き。な、伊藤睦月です。
今回は、古事記偽書論争に対する、私の考え、を示します。もうわかりますよね?まず、結論から。
(67)古事記は、序文、偽書とも、平安時代初期(9世紀)に執筆された、「偽書」だから、8世紀以前の日本史を記述する史料としては、採用できない。(同旨。岡田英弘「日本史の誕生」「倭国の時代」「歴史とは何か」、副島隆彦「歴史再探訪」、村越憲三郎「古事記は偽書か」)
(68)伊藤睦月です。結論だけ言えばこれだけ。です。本当にこれだけ。ではなぜ、今まで長々論争史を述べてきたか。
(69)それは、この「古事記全部偽書説」が学会主流(古事記学会、上代文学会)では、超マイナー説だから。学術系論文(「中二病氏」のいう「学問ごっこ」も同様)では、学会多数説に反対するからには、それなりの理由、根拠を示さねばならないからだ。
(70)そのためには、論争史を概観するのが、日本基準で求められるからだ(おそらく世界基準でも同様だろう。こういう学問的態度を「反証可能性」(ポパー)という。サイエンス(「学問」、「科学」は誤訳に近い。これも副島先生の本から学んだと記憶している。ちなみに、ナチュラルサイエンスでは、これに「再現性」が加わる、と理解している)
小休止。以上、伊藤睦月筆