守谷論文を検証する(5)ブレイク:白村江の戦いでは、倭国及び日本(国)は唐から戦争当事者とみなされてなかった(序論)
伊藤睦月(2145)です。「守谷論文を検証する」は、前稿で、一区切りつきましたので、今回から、私のファンタジーを投稿させていただきます。私のいう「ファンタジー」とは、歴史分野において、「資料的裏付けに乏しい、筆者の推測、推理だけで持論を展開している文章」のことを言います。歴史分野では、史料(文字情報)が最優先ですが、過去にいけばいくほど、史料が少ないため、「資料」(文字情報以外の遺物)及び「推理」に頼ることになります。例えば邪馬台国論争が典型で、副島先生もその著書で、箸墓古墳を取り上げておられますが、論争になっているのは、その古墳及び同時代の文献(中国正史など)がでてこないからです。だから箸墓古墳から、「親魏倭王」の金印や「卑弥呼とか台与」とか記された木簡とか出てくれば、(捏造でなければ。この点において、日本の考古学学会には前科があります)。その時点で「邪馬台国論争」は終わります。そうでなければ、後は推理するしかない。ファンタジー祭りの開催です。その推理が「合理的推論」で破綻しなければ、「真実、真説、有力な仮説」、になり、破綻すれば、「憶測、妄想、空想、独りよがりの独自説」となり、真偽はともかく、話の展開として面白ければ、「物語、伝説、小説」になるわけで、いずれも広義の「ファンタジー」です。そういう意味では、守谷さんの論考、私の論考も「ファンタジー」であることは同じです。なお、私のファンタジーとしては、「邪馬台国なんて、本当はなかったろう論(仮称)」を構想しています。だから、守谷さんも、ほかの歴史愛好家の方々も、もし多少とも関心をもっていただけたら、どうぞご遠慮なくご批判ください。もっとも私は「議論とは自分の弱点を徹底的に考え得ることだ」をモットーに随時自己修正をしていますから、その点多少のズレはご寛恕ください。
それでは、次回から、「白村江の戦いでは、倭国及び日本(国)は、唐から戦争当事者とみなされていなかった」論を「ふじむら掲示板」に投稿させていただきます。批判もここでお願いします。「重たい掲示盤」はあくまでも、副島先生の投稿がメインであるべきで、会員・読者各位もそれを渇望しているはず。それ以外は、「副島系掲示板」の「補集合」である。ふじむら掲示板が私を含め、大多数の投稿者にふさわしい。
(あくまでも私独自の意見です)
(以上、伊藤睦月筆)