天才・岡田英弘の孤独(4)

伊藤 投稿日:2024/11/15 21:41

伊藤睦月です。暑苦しい議論で恐縮ですが、続けます。

(1)大学教科書として編纂された、『世界史の誕生』とは違って、『日本史の誕生』は、一般読者向きの、教養、娯楽本として企画編集されたものだと、私、伊藤は考えます。

(2)手元に弓立社版の単行本を持っていないので、自分の記憶に頼ってますが、写真、地図、イラスト、講演、シンポジウムの発言録などが、通常本とは違う、図鑑や雑誌のような段組で、載せられて、読み物というよりも、見て楽しい本だったと思います。

(3)文章も、学術論文調ではなく、たとえば、「駐在員」とか「パレード」とか一般読者がイメージしやすい表現を用い、「真実なるものはえてしてほろ苦い」といった、情緒的、文学的なフレーズを入れるなど、普通学術書にはみられない工夫が随所にみられる。

(4)その反面、学術書なら当然あるべき、引用・参考文献リストが付されていない。

(5)以上から、明らかに一般書の体裁であり、当初、岡田博士の業績にはカウントされず、したがって日本史関連の論文で引用もされなかったと考えられる。これはいわゆる「無視」とか「いじめ」

とは違うのではないかと思う。(「無視」とか「いじめ」と自他ともに認めるのは、西嶋定生を筆頭とする、日本東洋史学会の主流派学者たちのことだろうと思う)というか、岡田博士にとって、日本史に関する諸論考は、本気でなくて息抜き、余興のようなものであったろう。私、伊藤は、同書からは岡田先生がくつろいで議論を楽しんでいるようにどうしても思えるのです。

 それでも、岡田博士は天才だから、天才にとってはほんの余技でも、それをライフワークとしている学者たちとそん色ないレベルのものであるとするなら、並みの学者たちはどういう思いだったろうか。

 なお、岡田学説は学会的には『倭国の時代』で躍動することになる。下條氏も紹介している、渡邊義浩『魏志倭人伝の謎を解く』(中公新書2012年)である。『倭国の時代』の巻末には、「参考にした資料について」と題した、参考文献リストが文庫版から付されており、学術書でも引用可能になった。

 渡邊義浩は、三国時代を中心とする中国古代史や儒教などの中国思想史を専門とする、いわば岡田博士と同業者で、日本史の専門家ではないが、魏志倭人伝に関する論考で、岡田説をほぼ全面的に展開している。こんな本は、私は初めて見た。渡邊は、『倭国の時代』について、「親魏大月氏王に着目し、曹爽と司馬イとの抗争のなかに、親魏倭王の贈与の原因を求める」と簡潔に要約している。

 そして、その隣に、西嶋定生『邪馬台国と倭国ー古代日本と東アジア』を置いている。渡邊なりのバランス感覚の発露、とみるのは、考えすぎだろうか。

 もう一つ、強調しておきたいのは、『日本史の誕生』を見つけ、称揚し、その名声を高めるのに、一役買ったのは、副島隆彦先生そしてその弟子たち、すなわち私たちではなかったのか。

 岡田英弘先生は、2017年に亡くなられているが、いわば人生の晩年あたりに、最良の理解者とその読者たち、を得て、孤独な天才の心は少しは慰められたのではなかろうか。僭越ながら、そう思いたい。

以上、伊藤睦月拝

 追伸:岡田先生の「聖徳太子実在説」をしりたかったなあ。