天才・岡田英弘の孤独(1)

伊藤 投稿日:2024/11/14 14:33

伊藤睦月です。前回からの続きを書きます。

要旨:

(1)岡田英弘先生は、「日本史の誕生」を一般読者向けに「遊び半分」に書いた。

(2)そして、同書を学術書でなく、歴史雑誌やムックのような体裁で単行本を作った。

(3)だから、参考・引用文献リストなど、学術書として当然あるべき、体裁を整えてなかった。

(4)そこに、同書及び「倭国」、「歴史とは何か」の3冊の「古事記偽書説」部分について、日本史学会古事記部会から、「盗作疑惑」のクレームをうけた(多分、弓立社版の単行本や「倭国」中公新書版は事実上の絶版状態に追い込まれた)

(5)同書及び「倭国(倭国の時代と改名)」を、ちくま文庫に採用するにあたって、該当部分に対する、コメントを付し、文庫版あとがきで、初出情報を付すなど、学術書として、最低限度の体裁を整えて、ちくま文庫版で世に出すことができた。(その際、当時ベストセラーとなっていた「英文法の謎を解く」シリーズで筑摩書房に発言力をもっていた、副島隆彦先生のかなりのサポートがあったのではないかと推測している。邪推かも・・・)

(6)聖徳太子非実在説については、学会側から、クレームはこなかったと思われる。学会側も歴史ムック扱いだからそんなに目くじらたてなかったのだろう。もしくは、学会の関係者は読んでいないのではないか。(だから、古事記偽書説で、クレームを出した学者にはなんかうさんくさいものを感じている)

(7)一方、岡田先生にしても、日本史分野は自分の領分でないので、クレームが来てもあまり感じなかったのだろう。そもそも、日本史学会なんて眼中になかったのだ。

(8)だから、「日本史の誕生」「倭国の時代」をちくま文庫に入れる際、意外とすんなり釈明コメントを入れたのだろう。(ちくま文庫編集部および副島先生の説得もあったのだろう)一方、「歴史とはなにか」(文春新書)では、釈明はしていないので、この本は岡田先生なりにこだわりがあったのだろう。(東洋史と先生の歴史哲学に関する内容なので、先生なりの矜持もあったのだろう)

以上、あくまで、伊藤の推測でした。次回から上記に補足します。

伊藤睦月拝