夏目漱石と牛と副島隆彦

かたせ2号 投稿日:2022/03/27 18:00

<以下、人物名の敬称は省く>

かたせ2号です。
私が夏目漱石の「牛」の手紙のことを知ったのは、以下の副島隆彦の文章記載によってである。もう20年以上も前である。

今日のばやき「002」副島隆彦から。小山くんへの返事 2000.03.06
(引用開始)
私は、本気で、アメリカ政治思想の分類作業をやりました。これで、私の人生エネルギーの半分は、使い果しました。こんな国にしか、生まれつかなかったことの、運命をのろいつつ、自分の恵まれない環境に抗いながら、こつこつと、やってきました。何事も、努力して、何十年もグイグイと牛のように押してゆかなければ、人々からのほんとうの尊敬は得られないのだ、と、夏目漱石が、書いていました。花火のようにパーッと、騒がせるのに、人々は、振り向きますが、ほんとうの尊敬はしません。
(引用終わり)

かたせ2号です。
この夏目漱石の文章(手紙)の内容を引用する。なお、この手紙は岩波文庫の「漱石書簡集」に収められている。

読書猿Classicサイト。
記事名「牛になる事はどうしても必要です/漱石が若き天才に贈った言葉」

https://readingmonkey.blog.fc2.com/blog-entry-244.html
(引用開始)
1916(大正5)年8月21日、数えで50歳の夏目漱石は、次のような激励の手紙を送った。

勉強をしますか。
何か書きますか。
君方は新時代の作家になる積(つもり)でせう。
僕も其積(そのつもり)であなた方の将来を見てゐます。
どうぞ偉くなつて下さい。
然し無暗にあせつては不可(いけ)ません。
たゞ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です。

そして8月24日に、もう一通。

この手紙をもう一本君らに上げます。
君らの手紙があまりに溌溂としているので、無精の僕ももう一度君らに向かって何かいいたくなったのです。
いわば君らの若々しい青春の気が、老人の僕を若返らせたのです。
(中略)
牛になる事はどうしても必要です。
吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。
僕のような老猾(ろうかつ)なものでも、
只今(ただいま)牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。
あせっては不可(いけ)ません。
頭を悪くしては不可(いけ)ません。
根気づくでお出でなさい。
世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、
火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。
うんうん死ぬ迄押すのです。
それ丈(だけ)です。
決して相手を拵(こし)らへてそれを押しちゃ不可ません。
相手はいくらでも後から後からと出てきます。
そうして我々を悩ませます。
牛は超然として押して行くのです。

宛先は、当時20代の芥川龍之介と久米正雄。
(引用終わり)

かたせ2号です。
20年前以上前、夏目漱石も副島隆彦も、偉いなあ、と私は素直に思った。それは今でも変わらない。
そして、あれから20年以上たった現在、私的な解釈を以下に追加する。

20年前以上前、私は「人から偉く思われたい気持ち、人の上に立ちたい気持ち」を元手に努力していた。夏目漱石の手紙にある「吾々はとかく馬になりたがる」の状況である。
しかし現在は、そういった願望が全く満たされずとも、それでも前に進めるようになることが、本当は一番大切なのだと実感できるようになった。
そういう心境になるのは、なかなか難しい。
「牛には中々なりきれない」のだ。

しかし、と夏目漱石はいう。
「世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、
火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。
うんうん死ぬ迄押すのです。
それ丈(だけ)です。」

かたせ2号です。
「牛」にならなければ、すなわち、「人から偉く思われたい気持ち、人の上に立ちたい気持ち」だけ努力しているうちは本当の仕事・成果は残せないのだ。
副島隆彦はこれについて、「花火のようにパーッと、騒がせるのに、人々は、振り向きますが、ほんとうの尊敬はしません。」と表現している。

だから、「人から偉く思われたい気持ち、人の上に立ちたい気持ち」だけでは人生が全く立ち行かなくなったとき、そこからが人生の出発点なのだ。

現在のわたしは以上のように理解している。

「牛」のことを手紙に書いた夏目漱石も偉いし、その手紙に心を動かされた副島隆彦も、やはり偉かったのだ。以上が私の結論である。

<補足>
私が上記の文章を書こうと思ったのは、私の人生の経験の積み重ねのせいでもあるが、
もうひとつ、佐藤優と副島隆彦の以下のやりとりを知ったからである。

佐藤優が「私は、ほんものの「知の巨人」は副島氏であると昔から思っている。」と述べたのに対し、副島隆彦は以下のように返している。

今日のぼやき「1978」 副島隆彦・佐藤優著『「知の巨人」が暴く 世界の常識はウソばかり』(ビジネス社)が発売 2022年1月27日

(引用開始)
この対談本の相手の佐藤優は知の巨人であろうが、私はそうではない。私は九州の田舎から出て来て何とか言論人になろうと、貧乏の中で何のコネもなく自力で這(は)い上がって来た人間だ。だから私は、この世の全ての特権階級、言論お公家(くげ)さま集団が大嫌いである。
 私は、世の中で隠されている諸真実を本に書いて暴き立てることで、出版業界で何とか徒食(としょく)して来た。私は自他共に認める"真実暴きの言論人"である。
 佐藤氏は、まえがきで私が静岡の私大で12年間教えたことを、私に何か人生戦略が有るかのように書いてくれている。そんなものは、ありません。私は、年収1000万円の収入が欲しかったから大学教師をしていただけだ。私のアメリカ政治研究の能力を評価してくれた政治家が、推薦してくれた。その前の13年間の予備校講師も、ゴハンを食べる(生活費を稼ぐ)ための必要でやっていたのであって他に理由はない。
 私は、世の中のごく普通の人々の悲しみと苦しみが分かる人間である。私は、権力者や支配者層の人間たちと闘い続けるから、彼らに同調しないし、身を売らない。
(引用終わり)

かたせ2号です。
副島隆彦の返事は、まったくもって素っ気ない。私にとってはそれがとても印象的だった。
「人から偉く思われたい気持ち、人の上に立ちたい気持ち」という気持ちを原動力にして努力する段階を、とっくの昔に卒業しているのである。わたしはそのことを確認できた。

それでは、現在の副島隆彦の人生にとって、何が原動力になっているのだろうか?

それは、20年来変わらない、知識人としての自らの役割の自覚であろう。

今日のばやき[184] アメリカニズム という言葉の意味を説明する 2001.8.15、
から引用する。

(一部引用開始)
私(副島隆彦)の本の読者になった者たちが、私の本を読み始めた時に受けた衝撃と、脳のずきずきする痛みや、激しい吐き気や、心臓の圧迫を感じたはずだ。そういう人たちがたくさんいる。それは、洗脳された脳が、正常になろうとして、きしみ音を出すような苦痛を感じるからなのだ。麻薬の常習者が、厚生施設で味合わされる禁断症状に近いものだろう。私たち日本人の脳は、グローバリストによって、麻薬付け narcoticにされたのである。
私という人間は、日本国民を、アメリカのグローバリストどもによる計画的な洗脳状態から、解放(脱魔術化 ディスエンチャントメント disenchantment )するために日本国の自己防衛機能が自然に生み出した、「抗体ウイルス」(anti-virus アンチ・ヴァイラス)なのだ。
(一部引用終わり)

かたせ2号です。
これは、現在の日本人ではほぼ絶滅しつつある「知識人としての自覚・使命感」であろう。
この使命感から「人から偉く思われたい気持ち、人の上に立ちたい気持ち」が削げ落ちれば、それはとても貴重なものである。

やはり、副島隆彦はその志と著作内容とによって、「日本の公共財産」である。

以上