商業ルートの出版物について
2054です。近代医学・医療掲示板を拝見したところ、伊藤氏は「平癒」されたとのこと。精力的な投稿も続き、お元気そうな状況ですので、安心いたしました。今年の夏前(前回の入院前)にやり取りをしていましたが、返答をするのを控えておりました。伊藤氏の投稿の邪魔をしないタイミングで、少しずつ以前の質問や疑義への回答をしてまいりたいと思います。
今回は、商業ルートでの出版について伊藤氏による「ブレイク(閑話休題?)」の投稿がございましたので、便乗します。【491】の投稿では「一番金になりそうもない地味な学問系にとって、出版社とつないでもらえるということが、どんなにありがたいことか」とありました。
私が支持している小林恵子の場合は、三笠宮崇仁殿下が紹介して下さったようです。宮様が自ら風呂敷に包んで原稿を出版社に持ち込み、それに発奮して彼女は自ら「新規開拓営業」をしたようです。
(引用はじめ)
日本オリエント学会に入って、はや五十年近くになった。入会して間もなく学籍のない私を 気の毒に思われたか、会長の三笠宮崇仁殿下が宮内庁書陵部のご自分の研究室にお招き下さった。そこで宮様の御蔵書や書陵部の本を手当たり次第、読破した。宮様の研究室は教師のいない私の学校だったのである。
それから、かれこれ十年経た一九七二年に高松塚が発掘された。この頃、高松塚を話題に研究室で宮様とお話をしていたところ、宮様が本を出版したらどうかといわれた。初めは思いもかけないお言葉にとまどったが、やがて、その気になり、『東アジアの古代文化』などという今は廃刊になっている同人誌に小論を提出したりして自分なりに出版の準備をした。そのうち原稿がたまったので、宮様にお目にかけると、宮様は講談社や学生社にお持ちくださった。今も唐草模様の風呂敷に私の原稿を包んで、手ずからお持ちいただいたお姿が目に浮かぶ。
しかし両社共に断られ、私はそこで、始めて人事のように宮様のご好意を傍観していた自分に気づいた。
宮様のご好意を無にするわけにはいかないと決意し、私の本を出版しそうな傾向があるとみた当時の現代思潮社の石井恭二氏に電話した。一面識もなく、紹介者もいなかったが、原稿を見てもよいという返事だったので、三~四ヶ月かけて原稿を書き改めて石井氏のところに持ち込んだ。石井氏は私の電話のことはすっかり忘れていらっしゃったが、その場で刊行が決まった。それが今も出版中の『白村江の戦いと壬申の乱』である。一九八七年の暮のことだった。(引用終わり:『海翔ける白鳥・ヤマトタケルの景行朝』現代思潮新社p266~267)
2054です。『白村江の戦いと壬申の乱』(現代思潮新社)は、40年近く経過した今も、新刊で販売しています。商業的に成功はしていない(はず)ですが、アマゾンでもワンクリックで即入手できます。これは驚異的なことで、現代思潮新社という出版社の見識と矜持に、私は敬意を抱いています。