ブレイク:現代中国における都市戸籍VS農村戸籍の問題は、古代からの大問題だ。(2)

伊藤 投稿日:2025/01/16 07:26

伊藤睦月です。

(9)中国人とは、「都市住民」のことである。

(9)-1 漢字の「国」という文字は、囲い(城壁)に、王様がいる、ということをあらわしている。つまり、中国は、「都市国家」から始まった。

(9)ー2 岡田英弘博士は、中国人は、元来商業民族であり、黄河と長江の間の緑地(中原)の交通・物流の要衝に都市国家を建設。その都市国家を内陸水運(河川や運河)で結んで、点と線のネットワークを形成。それらからの税金(関税)を財源として、兵と官僚を養った。そういったネットワークの大半を支配したのが、「皇帝」」だとする。

(9)-3 この都市住民は、戸籍に登録され、徴兵と納税の義務があった。城内には、王、官僚、軍隊、商人、職人、のほか、農民も城内に住んでいた。

(9)-4 農地や牧草地は、城外にあったが、城内に住む農民たちが耕した。夜が明けて城門が開くと、王から農機具(青銅・鉄器)を借りて、農作し、日没になって、城に戻り、農機具を返還する。この農機具の使用代として、収穫物の一部を「租」として納める。商人や職人は、売り上げの一部を「税」として納める。

(9)-5 王にとっては、税金が取れる人間が大事であり、都市国家に住む住人こそが、「領民」であり、「中国人」である。岡田博士が、中国の歴代人口の推計をやっているが、それは、「都市戸籍」に登録された人間の数のこと。少なくとも宋朝まではそうだったらしい。

(9)-6 場外にも、人間は生息していたが、その者たちは、税金がとれないので、王にとっては「中国人=人間」ではない。ケダモノ、と同じ。もちろん、戸籍には載せないので、その数はわからない。動物の大群と同じ。それで城外の四方に住む人間たちを、「東夷、南蛮、北狄、西戎」、つまり「四夷」と呼んで、区別した。この「区別」が「差別」となって、中国社会に根付いた。中華人民共和国が成立後、この城外に住む人間たちを登録したのが「農村戸籍」である。毛沢東の方針で、農民の組織化(人民公社)を図るために必要だからだ。最初から差別構造が内蔵されている。さすがの習近平も苦労するはずだ。

(9)-7 この区別は、王が定めた区別であり、人種、言語は関係ない。話し言葉は通じないので、書き言葉(漢文)が公用語となった。「王侯いずくんぞ相種あらんや」(皇帝になるのに血筋は関係ない)という易姓革命の思想はここにルーツを持つ。その一方で、中国社会は、男系の先祖崇拝(社稷しゃしょくを守ること)を「孝」とよび、これを全うすることが、最も大事とされた。親孝行はその一部に過ぎない。「忠孝」は日本特有の倫理である。

(9)ー8 このような、国内関係(都市VS農村)を国際関係(中国VS四夷)に置き換え、定式化したのが、「冊封体制」だ。西嶋定生はじめ、日本東洋史学会が提唱し、通説となった。高校世界史教科書にも採用された。副島=斎川『天皇とは北極星のことである』はじめ、中国史を語る基本フレームとして定着している。

(9)-9 それに対し、岡田英弘博士は「冊封体制」は中国史には存在しない。史料しか読まない学者の「机上の空論」だ、と反発している。実際、岡田博士の、中国史、日本古代史に関する著作には、「朝貢」「冊封」という用語は一切使われていない。

(9)-10 伊藤睦月です。「冊封体制」という歴史モデルは、我々にとってわかりやすい。それと比較し、岡田説は、政治関係より、経済関係を重視するモデルであって、間違ってはいないとは思うが、「朝貢」「冊封」概念の方が、「帝国=属国論」との親和性が高いと考える。したがって、現時点では、通説を支持する。

(9)-11 伊藤睦月です。この「都市・農村国籍問題」は、中国の伝統的な社会構造に根差したものなので、表面上の改革だけでは、どこかでひずみが出てくる可能性がある。今後を注視していくほかないだろう。

以上、伊藤睦月筆