ブレイク:旧唐書より、新唐書推し、なのはどうやら私だけらしい。(4)
伊藤睦月です。
(1)石敬塘がやらかした、もう一つは、旧唐書をつくったことです。後晋は、石敬塘の子供の代になっていましたが、旧唐書完成後、翌年には契丹から滅ぼされてしまいました。建国から滅亡まで、10年余りの寿命でした。旧唐書をつくらなければ、もう少し寿命が延びた、と考えています。
当時、歴史書を作ることは、後晋が、大唐帝国の後継王朝である、ということを、内外に宣言することです。当然、契丹帝国は野蛮人国家となります。中国風に「遼」と国号を変えたばかりの契丹帝国が激怒するのは、わかります。石敬塘本人が生きていたら、まだごまかしようがあったでしょうが、子供の代になって、そういう空気も読めなかったのでしょう。結局、遼から、別の口実で、あっさり滅ぼされます。
(2)後に北宋は中国統一の後、唐帝国の正統な後継王朝ということを示すため、「新唐書」を編纂し、また、唐滅亡以降の「五代十国」それぞれの歴史書を編纂して、王朝の正統性をアピールしています。
これは、伊藤独自説、たぶん、私ひとりだけ、の説だと思います。
(3)この旧唐書は、もちろん完成当時は「唐書」でした。後世、1072年に北宋帝国によって、編纂された、「唐書」と区別するために、新旧つけられましたが、それは、18世紀清の乾隆帝によって、中国正史に加えられて以降のことだと思います。それまでは「稗史」として一段低い扱いだったと思います。
(3)普通、王朝がこんなに短期で滅んでしまったら、歴史資料なんかは散逸してしまいそうですが、この「後晋版唐書」は、なぜか、1200年も生き残りました。
(4)普通なら偽書説が出そうですが、でなかったとしたら不思議だと思います。
(5)それは、どういう経緯かわからないが、「清皇帝お墨付き」の歴史書となったためかと考えます。自分の国の歴史はすぐ疑うくせに、中国皇帝の権威には弱いのか。
(6)いずれにせよ、旧唐書は、後世の研究者や歴史マニアにとって、メジャー、マイナー問わず、おいしい資料です。
(7)それは、新唐書が、中国正史の伝統に忠実すぎて、採用史料とその記述を絞りすぎたために、(よく言えば、当時の大学者、欧陽脩の簡潔すぎる名文のため)、新唐書にもれた、史実が結構、旧唐書には掲載されているからです。その真偽判断を経ているのかどうかは、少なくとも私は知りません。新唐書は、旧唐書の100年後に編纂されていますので、偽書でなければ、当然、旧唐書を参照して、当時の基準で取捨選択したはずです。
伊藤睦月です。そこで僭越ながら、他の人たちからは、ほとんど、顧みられない、新唐書、それも一般読者が容易に入手、検討できる、「倭人伝」の内容を紹介します。
以上、小休止、
伊藤睦月筆