ブレイク:坂口安吾と言えば・・・
伊藤睦月です。かたせ2号さんの投稿をみて、少し、トレビアっぽい話を・・・
(1)坂口安吾の作品は「信長」しか読んだことはない。それ以外に1970年代に「安吾の開化探偵帳」とかいう、勝海舟とその弟子、が探偵となって、事件を解決する、というTV番組を見ていた。主演は、若林豪、と池辺良だったか。横尾忠則のイラストがシュールで、なんか記憶に残っている。
(2)坂口安吾と太宰治は「無頼派の作家」といわれ、終戦直後の昭和20年から、恐らく、昭和25年くらいまでの間に、酒と女におぼれながら、作品を発表し、太宰は女性と心中し、坂口は酒と覚せい剤(ヒロポンといって、当時は禁止されていなかったように思う)におぼれた。太宰の話は、副島先生の本にも出てくる。
(3)この昭和20年(敗戦)から、昭和25、6年頃、GHQの占領下にあった頃、(仮に占領期とよぼうか)いろんなことが起こっているし、その一部は松本清張や多くの作家や研究者により、研究され、本にもなっているが、本当の話、時代の実相というのは、現在の我々にはよくわからなくなっている。少なくとも私は、副島先生の「ぼやき」や佐藤優氏による、共産党の歴史やその他の人たちの本を読んだり、話を聞いて、へーえ、と思うことがせいぜいだ。関心は失わないようにはしたいとは思っている。
(4)そこで思い出したのが、この占領期における、作家や学者たちの右往左往(うおうさおう)だ。みんな戦犯容疑で逮捕されることを恐れていたようだ。
(5)副島先生が、「狂人日記」で谷崎潤一郎を取り上げているが、谷崎のように超然としていたばかりでなく、そうでない作家の方が多かったようだ。
(6)まず、時代に殉じた、敗戦によって、自殺したり、筆を折った作家がいたとは、私は聞いたことがない。(蓑田胸喜、という右翼思想家が終戦の詔勅を聞いて自殺した、という話は、佐藤優氏の本で知った)
(7)谷崎のように沈黙を守って、戦後にお呼びがかかるまで、作品を書き続けた人、谷崎潤一郎のほかにだれか知りませんか?
(8)とにかくやけっぱち、で酒や女に溺れていった作家、太宰治、坂口安吾ら「無頼派」の作家たち。太宰治は、「死ぬ死ぬ詐欺を繰り返した挙句」、女性と心中した。
(9)もうどうにでもなれ、と居直った人、小林秀雄、親友だった中原中也から奪った女性に溺れて過ごした。(同時に、日本古典の世界にのめりこんでいった)
(10)GHQに積極的にこびへつらい、おもねった作家、志賀直哉(城崎にて)とその仲間たち。志賀直哉は、我が国の公用語を日本語からフランス語に代えるべき、という嘆願書を仲間の作家や文化人と連名で、GHQに嘆願したという。志賀直哉と行動を共にした人たちの名前は知らない。知っている人がいたらご教示ください。現在、我々はフランス語を使用していないから、嘆願は通らなかったのだろう。
(11)その志賀直哉の一番弟子だと自任していたのが、「阿川浩之」(米内光正、山本五十六)だ。副島先生が、筆誅を加えていた。だから、日本語を売ろうとした作家の弟子が、今一番の保守派の作家のひとりとみなされている。なんかおかしいよね。
(12)川端康成はどうだったのだろう。その一番弟子の三島由紀夫が、心中直前の太宰治に酒場で議論を吹きかけ、太宰から、相手にされなかったそうだ。三島から何を言われてもただへらへら笑っていたそうだ。そして間もなく心中した。そこに太宰のすごさ、というか、突き抜けていた人なんだな、と感じてしまう。
(13)坂口安吾は、その後も酒と薬に溺れ続けたそうだ。彼が敗戦のショック冷めやらぬ間に急いで書き留めたのが「堕落論」という作品だ。私は読んだこともないし、これから読むつもりもない。
(14)伊藤睦月です。以上の話は、全部、私の記憶だ。20代、いろんな本を読み漁っていたときに得たものの集積だ。だから虚実はわからない。私だって、引用文献がない、根拠薄弱な文章を書きたくなる時だってあるんだ。
(15)とりあえず、「信じるか信じないかはあなた次第です」と言っておこう。かたせ2号さん、いろいろ思い出せてくれて、多謝です。
以上、伊藤睦月拝