ブレイク:上古~古代の天皇家系図を仕分けしてみる(3)神功皇后が、仲哀傍系の応神を崇神直系にした。
投稿日:2025/01/14 13:05
伊藤睦月です。
1 応神は、仲哀の子ではなく、ヤマトのアマ氏の一族である神功皇后の子である。(父親はおそらく、武内宿禰)いわば仲哀の傍系である。
2 神功は、北九州の倭国及び新羅の後援を受け、応神の正統な王権を主張して、山門国に入ろうとした。
3 仲哀の実子である、忍熊王、香坂王の兄弟が阻止しようとしたが、敗北し、応神が大王位についた。
4 この記事は、「王の帰還」といって、東西の伝説によくあるパターンだが、現実の事件が核にあって、応神大王の正統性を主張したエピソードになったのであろう。
5 応神以前崇神までは、奈良盆地を統一した山門国の対外発展戦争の様相を記したものであろう(詳細は、前出)
6 応神大王が、景行大王ー日本武尊ー仲哀ー神功と継承されている、と書紀は明記する。
7 しかし、宮内庁HPの天皇系図では、神功皇后は抹消されている。これは、明治以降の政府公式見解だが、そのために、応神の在位が当時としては、不自然に長くなっている。(70年間)
小休止、伊藤睦月筆。