ブレイク:上古~古代の天皇家系図を仕分けしてみる(2)応神から継体までは、「疑似易姓革命」の物語だ。

伊藤 投稿日:2025/01/13 09:30

伊藤睦月です。前回からの続き。

1 日本書紀の主題は、継体朝における、正統が、舒明直系(天智・天武)であることを主張したもの。

2 その継体大王は、応神大王の正統であることを主張する必要があった。(応神のすぐあとを継いだ仁徳系統と違い、継体は、5世の孫という、血縁薄い大王であったから)

3 当時の東アジア世界における正統思想、世界標準(ワールドバリューズ)の政治思想は、「易姓革命」論。

3-(1)いわゆる「万世一系」の思想は、東アジア世界では、二流の思想。属国日本の思想

3-(2)日本で、「万世一系」の思想が明確に出てきたのは、14世紀。「神皇正統記」(北畠親房)から。

3-(3)987年、訪中したチョウ然が、北宋皇帝から、褒められたこと(宋書日本伝)がきっかけとなった。

3-(4)「天壌無窮の神勅」(日本書紀720年成立)は、神代編本文でなく、「一書に曰く」として、後世に書き加えられたと考える。

4 応神を継いだ仁徳から、武烈までの、「旧辞」(エピソード)は、史記にそっくり。

4-(1)有徳の仁徳の系統が、雄略、武烈で、失徳の悪行を繰り広げる。そこで、王朝が断絶して、継体が正統の王朝となる。(易姓革命論)

4-(2)武烈の悪行は、史記に記されている、夏の桀王、殷の紂王のエピソード(妊婦の腹を裂いて胎児を取り出す、女性に馬とのセックスをさせて殺すなど、猟奇的な悪行が目立つ)に類似している。

4-(3)雄略も同じく、一生、敵対者を殺しつくしているが、当時から「悪徳」よりも、「強すぎてかえって素敵

」という、マッチョな印象が強かったらしい(万葉集冒頭)

4-(4)雄略のイメージは、「大王は神にしませば」とたたえられた天武のイメージとも重なる。

5 本場の中国と違い、仁徳系も、継体系も、同じ「アマ氏」なので、目立たないが、実質的に「易姓革命」と同じ、と書記編纂者は考えた。(疑似易姓革命論)

6 古田武彦は、倭の五王=河内王朝の五大王は、九州王権の王たちと考えるが、私伊藤は、北九州の倭国王であった倭の五王と、大和国(河内王朝)の五大王は、同時期に別個に存在した、と考える。

7 応神以前は、「創業伝説」「建国神話」で、その構成は、旧約聖書「創世記」のパターンに類似。(同一とまでは、断定しない。当時のオリエント文明の影響下にあった文化共通パターンではなかったのか)

次回は、応神~神武について自説を述べる。

伊藤睦月筆

 

小休止。伊藤睦月筆。

 

 

 

 

 

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