テレビドラマ「水戸黄門」と松下幸之助のお話

かたせ2号 投稿日:2024/04/04 06:31

かたせ2号です。

松下幸之助について長年関心を寄せていたワタシは、テレビドラマ「水戸黄門」は約40年にわたって、そのスポンサーは松下電器産業(現パナソニック)による1社提供だったとは知っていた。

しかし、数ヶ月前、その事実の背景について初めて知ったので、以下に紹介しておく。なお、以下の話は、パナソニック傘下のPHPでも、幸之助の負の側面を活写する岩瀬達哉も全く触れいない。

結論からいうと、松下幸之助は、京セラの稲盛和夫と同じく、創業に当たって、その才能を見込んでくれた「パトロン」からの出資を受けていたということ。
へえ、そうだったのか。

では、以下に情報を引用します。

https://jp.linkedin.com/pulse/水戸黄門を有名にした松下幸之助-康雄-田中-eh2lc

(一部抜粋開始)
題名:水戸黄門を有名にした松下幸之助
公開日: 2024年2月28日
繁盛タイムス編集長・思案橋わたること、田中康雄です。

今日は天下の副将軍・水戸光圀公と、松下幸之助翁の不思議なご縁のお話を。
「じ~んせい楽ありゃ、苦~もあ~る~さ~」  
誰もが一度は聞いたことがある、テレビドラマ「水戸黄門」のテーマ曲
あの曲のタイトル知ってます? 歌詞をよく聞くと、結構いい歌なんですよね。
タイトルは「あゝ人生に涙あり」(「あゝ」は、「ああ」と読んでくださいね。)
テレビドラマ「水戸黄門」は1969年8月から放送開始。
2011年12月の最終回まで42年も続いたレギュラー時代劇番組。そのスポンサーは松下電器産業(現パナソニック)の1社提供でした。1社提供で42年間って… 凄くないですか?
実は…  それには、深い深~い、理由があったんです。
それも、300年の時空を超えた壮大な人間ドラマのお話です。
水戸黄門こと、徳川光圀公は寛永5年(1628年)に生まれますが…
本当は生まれていなかったかもしれない… というお話から。
徳川家康の11番目の息子で水戸徳川家の始祖・徳川頼房公
実は生涯一度も正室を持たなかったそうです。
でも、側室は9人もいたとか。まあ、誤解を恐れずにわかりやすく言うと…
結婚していないけど彼女9人と暮らしていた。
と言えばイメージしやすいと思います。(不適切にもほどがありますが…)
そのうち、「久子さん」が身ごもってしまいます。
しかも久子さんは… 正式の側室ではありませんでした。
当然といえば当然ですが、側室の女性の一人が憤慨して悔しいから堕ろして!と、頼房は責められます。

そして光圀の父・頼房はそれを聞き入れてしまったらしいのです。(この話には諸説あり、堕胎命令が出た本当の理由は不明だそうです)
しかし、それを不憫に思った家臣の三木之次夫妻が、密かに久子さんを三木家に連れ出し光圀を出産させます。三木夫妻のもとで光圀はすくすくと育ちました。
主君の命令に逆らったら命はない時代です。
三木夫妻は命がけで後の天下の副将軍をこの世に誕生させたのです。
その後、黄門様がどれだけ活躍したかは、ぜひググって調べてくださいませ。

そして時代は一氣に近づいて、大正時代になります。
三木之次の子孫・三木啓次郎は水戸藩士の霊を慰めるために大阪四天王寺を訪れていた時、寺の前では偶然、若き松下幸之助が二股ソケットを売っていました。幸之助は二股ソケットを発明したものの大量生産するための資金がありません。世に出したい一心で、どんなところにも出かけて必死に売っていました。
三木啓次郎は決して裕福ではありませんでした。しかし二股ソケットを見て…

素晴らしい!絶対に売れる!と、確信します。
お金がない啓次郎は自分の田畑を担保にして、幸之助に多額の出資をしました。
その資金を元に大量生産した二股ソケットは大ヒット。事業は急成長します。
その恩をずっと忘れなかった幸之助は、水戸黄門をテレビドラマ化して私の目が黒いうちは1社スポンサーで放送すると宣言したようです。

さらに勧善懲悪の物語なので、どんな悪党でも殺さず捕まえるという脚本にこだわったとも言われています。
1969年から2011年まで実に42年間、1社スポンサーで放送するという偉業はこういう深い、深い時空を超えた縁と、恩返しの理由があってなされたのです。

※こまかい話は三木啓次郎は水戸から大阪に出てきて工場を経営していたとか、啓次郎が「儲かった金で水戸光圀公を広く知らしめてほしい」と言ったとか諸説あるようですが、大枠の事実は間違いないと思われますので、寺の門前で売っていたという説に従って書かせていただきました。
(一部抜粋終わり)

かたせ2号です。
ちなみに松下幸之助に関しては「道」が一つの、幸之助理解のためのキーワードとなります。ですので、
「水戸黄門のオープニングの曲の歌詞と著書『道を開く』の『道』がつながっている」という話を、また別途するようにいたします。

以上