では、改めて、「新守谷論文」を検証する。(イントロ1)
伊藤睦月、です。では、投稿を続けます。
1)守谷健二が「勉強不足」なわけ。
さきほど。2054さんのご指摘がありましたが、守谷が、「勉強不足」である理由は、今までの彼の投稿をざーっとみれば、わかります。
2)そもそも、歴史学や文学、といった人文学の分野の論文では、特に「引用、参照文献」リストが非常に大事です。
3)古事記もそうですが、数百年の研究、論争の積み重ねがあって、しかも些末なまでに積み重なって、現在の見解があるのですから、それらをチェックして、そのうえで、従来の学説の問題点を指摘して、自説を展開しなければ、評価されません。(これを査読さどく)といいます。
4)法律学では、判決に「却下」と「棄却」というのがあるのをご存じですか。「却下」は裁判をするだけの「形式的要件」を審査し、それにかなわなければ、却下、となります。いわば門前払い、です。先に進めません。内容審査(実質裁判)まで行って、不可、となればそれは、「棄却」となります。これは、学問分野によって多少異なりますが、おおよそ「学問(サイエンス)」的論文を評価する王道セオリーです。(また長くなりそうです。恐縮です)
(5)以上からして、守谷の投稿を見ると、文献は、「大野晋」の文庫本1冊しかありません。それだけで評価としては十分不可です。2054さんは、内容まで見られて、判断されているようですが、学問の世界では、そこまで親切に検討してくれません。問答無用で、「却下」です。
(6)これでは、およそ人文学の論文たりえません。
つまり、「却下」。内容を検討するまでもない。私が長々と、いや丁寧に、2054さんが辟易するくらい書いてきたのは、守谷に対するサービスなのですよ。私が述べてきたことは、そのほとんどすべて、守谷がろんじなければならないことだ。といっても本人はわからないようだけど。この会員の中で、卒論とか多少とも学問的な内容の論文執筆経験のある方がいらっしゃたら、ぜひご指摘いただきたい。(私も素人なので、ご指摘いただければありがたいです)
この副島系掲示板では、学術論文ほどではないけれども、「学問道場」だから、学問のルールをできるだけ尊重しようという考えで、私、伊藤は、今まで投稿したり、執筆に参加したりしてきたつもりです。
(7)ちなみに、副島先生や岡田英弘の本のような公刊本では、そこまで、厳密なリストは求められておらいないが、それでも本文になんらかの形で織り込まないと、「盗作疑惑」がかかって、最悪絶版になってしまいます。副島先生は、そういう厳しい「戦場」で戦っておられるわけで、私ごときが「聞いてみる?」とんでもない。その前にやることがある、ということです。
(8)ちなみに、海外のビジネス書や学術書には、ときどき、本文よりページ数多いんじゃないか、というくらい、注釈や文献リストがついていることがありますが、それが本来あるべき姿です。
(9)もちろん、副島先生はそれを踏まえたうえで、日本の業界ルールの範囲で対応されています。と私、伊藤は考えています。
以上、伊藤睦月筆