つくばだより、その4
震災四日目(3/14)の晩、父(元電気技師。専門は制御屋)に電話し、原発事故の傾向と対策について、その見解を問うた。父いわく、
「実はさきほど、原発屋だった元同僚とも電話でディスカッションしたのだが、今公開されている限りの情報では、『この患者は死ぬだろう』とも『助かるだろう』とも言いかねる。」
父は「国産技術の振興」なる会社のスローガンを素朴に信じ、バカ正直に働き、そこそこ出世して終わった男である。それでも退職後は割と好き勝手なことをほざくようになったが、その思いは複雑だろう。「分かりません」が答えとは、父にしてみれば技術者としてギリギリの良心なのかもしれない。
「3月15日午前10時22分、福島第一原発3号機付近のモニタリングポストで毎時400ミリ・シーベルトの放射線量が測定された」との対外発表あり。
震災五日目(3/15)の夕刻、計画停電に伴う電車運休で、つくば駅のシャッターは閉ざされていた。
そのシャッターの前には、運転再開2時間前から長い行列ができていた。みなキャリーバッグをゴロゴロと重たそうに引き摺っている。学生風の集団は体育会の合宿か。それにしては会話が少ない。あのキザなインテリ風オヤジは学会帰りか。それにしては表情が暗く、高揚した所が微塵も感じられない。
家に帰って、あれは何だったのだろうと女房に問うたら、アンタはそんな目端の利かないことだから、出世競争からオチコボレたのだと嫌味を言われた。
震災は、今日から新しい段階が始まった。(以 上)