つくばだより、その2

藤村 甲子園 投稿日:2011/03/17 01:48

3月11日午後4時頃、私は自家用車で茨城県つくば市の職場から退避した。
工場には既に毒ガスが充満していた。臨時社員の私は何の役にも立たないばかりか、足手まといになる。年下の課長から、おまえは帰りたければ帰れと言われた。お言葉に甘えて帰ることにしたのだ。

主要道路は渋滞していると推測し、私は脇道を行くことにした。
長高野(おさこうや)、篠崎(しのざき)、沼崎(ぬまざき)、酒丸(さけまる)といった名の、昔ながらの農村集落の間の、生活道路や農道をジグザグに辿りながら、私は南下して行った。

所どころでブロック塀や大谷石の塀が崩落していた。屋根瓦が剥落している家屋もあった。地震で破壊された建築物にどのような共通性・法則性があるのか、私には分からなかった。路上のそちこちで村民たち(その多くは高齢者であった)が立ち話をしていた。車で脇をすり抜けたら、みな一様に、私のことをうさん臭そうな目で見る。

そのうち、私はあることに気がついた。崩れた塀はずいぶん見かけたが、それが通行の支障になるようなことは、ただの一度もなかったのである。
崩れたブロック、崩れた大谷石は、よく見ると、みな道路脇に行儀良く整列していた。あの大地震で、塀のブロックや大谷石が、こんなサーカスみたいに器用な着地をご披露するものだろうか。

おそらくは地震発生から数時間以内に、誰かが路上から崩れたブロックや大谷石を取り除けたのだ。一体どの誰が、一体どうやって、これだけの大仕事を鮮やかにやってのけたのだろうか。
私はつくばの農村の底力を知った。一見、何もない田舎のように見えたが、つくばの農村は、決していわゆる「限界集落」(注)ではなかったのである。この一年半、あちこちブラブラ見て回ったつもりでいたが、私はつくばがどういう土地なのか、全く分かっていなかったのだと思う。(以 上)

(注)「限界集落」とは過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す。(ウィキペディアより)